「11月戦争」

1995年1月の読売新聞による上九一色村のサリン残留物スクープ、3月の警視庁による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。
この計画は、「1995年11月に教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、米・露・朝の各軍隊による核戦争を誘発させる。
その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治する」というものであった。