首都圏爆破テロ計画

1995年3月20日の地下鉄サリン事件後、「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」「30日ごとにテロをやりつづけろ」として、
目白通りの石油コンビナート、東京タワー、東京都知事候補者の自宅を爆破したり、東京都庁にプロパンガス20本を積載したトラックで攻撃する計画があり、
麻原の指示で井上嘉浩や富永昌宏が調査したが到底無理であるため中止された。代わりに新宿駅青酸ガス事件、東京都庁小包爆弾事件が実行された。ダイオキシンを散布するというプランもあった。

麻原は「ウソも100回つけば本当になる」として、矛先を逸らすため極左過激派などの仕業に見せかける偽の犯行声明文を出すことも指示していた。