本物の弔問外交の例

ヨシップ・ブロズ・チトー(1980年5月)
非同盟主義国ユーゴスラビアの最高指導者(ユーゴスラビア共産主義者同盟総書記・前大統領)であるチトーの葬儀には、対立中のソビエト連邦最高指導者ブレジネフ書記長を含めた東西両陣営および非同盟主義国の首脳が参集した。代表が参列した国は119か国とされる[6]。
 
昭和天皇[2][8](1989年2月)
大喪の礼に164か国の代表が参列し、それまで最大とされたチトーの葬儀を上回るものと言われた[6]。長年対立してきた中国とインドネシアの国交回復交渉の開始[9]や、当時懸案の中東和平について首脳間のやりとりがあったとされる[2]。