打撃投手の後はマネージャーに就任し、原監督の第2次政権が発足した2006年からは監督付のマネージャーを務めた。常に行動をともにし、挨拶や身だしなみを含めた「人としての教育を受けた」。

その教えを参考に、自らが指導者になってからは選手たちに「学生野球をしっかりやろう。私生活がだらしないやつは野球もだらしない」と技術面以外の大切なことも伝えている。

 2人で散歩をし、サウナで野球談議を交わすことも。ある時、原が「俺はファームから上がってきた選手はすぐに使う。調子が良いから上がってきているんだ」と言うのを聞いた。

荻原が「何回チャンスを与えるか」尋ねると、「3回」との答えが返ってきた。荻原自身、東北工業大では投手に練習試合などで必ず3回はチャンスを与えるようにしている。原監督と過ごした時間は、間違いなく財産となっている。