>>748
翻訳もある種の解釈ですから純粋に原語の意味を伝えることは不可能ではありますが
個人的にはできる限り原語の意味に沿った訳を心がけ、その上で翻訳言語では
意味が分かりにくいところに訳註を付けるのが好みです

とはいえ、聖書は何よりもまず信仰のための聖典ですから
どうしても普通はその信仰を反映した訳にはなってしまいますね
また普通の人が読む際には意味不明の難解な文章が続いてしまうと挫折してしまいますから
その意味で多少の「歪曲」はあれ、翻訳言語だけで意味が通る訳も必要なのだろうと思います

さてローマ8章ですが、前半で霊肉二元論、後半からいわゆる予定説にあたることが
語られていると思いました

いろいろと疑問点があるのですが、まず11節で語られる御霊によって死ぬべきからだをも生かして
くださる、というのがよく分かりません
それまでは10節で語られているように体は罪ゆえに死んでも霊は義ゆえにいきているといった
はっきりとした霊肉二元論が展開されていますが、ここでは御霊によって体も生きるという形で
体さえも霊によって生かされると語られています
ここは現在の体ではなく復活の体を指しているのでしょうか?

それから20節では被造物が虚無に服したのは神によると語られていますが
これだとまさに神による自作自演の救いとなってしまいそうです
ここは何か別の解釈なり字面以上の意味なりがあるのでしょうか?

28節以降からは「ご計画」「予め定め」「神の選ばれた者」と、予定説を裏付けるような文言が並んでいます
こういった予定説的な考えはどこからでてきたのでしょうか?