>>750
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はローマ第九章です。

10節の論理は意味不明です。というのは
「からだは罪のゆえに死んでいても」だと、現在進行形で「身体が死んでいる」と
パウロスが主張していることになってしまうわけですが、我々はまだ死んでいなてので
事実に反します。そこでアウグスティヌスの『ロマ書注解』以来、パウロスは大袈裟だし
「いずれ必ず死ぬべき」というところを「死んでいても」と表現したのだ。
こうすることでよりピッビッドになるんだという解釈や、
いやいや比喩だという説。パウロスにとってはこの身体は本当に死んでいる存在なんだという説
バプテスマ体験では、古い自分は死ぬのでそのことだという説など諸解釈が出されています。
が、パウロスはここで厳密な意見を述べているわけではなくて、テキトーにかっいい言い回しを
しているだけでしょう。

「霊は義のゆえに生きているのである。」を字義通りに読めば霊肉二元論です。
霊肉二元論はキリスト教的には、異端のグノーシス主義の発想なので、キリスト教
では受け入れません。そこでキリスト教正統派は、ここで解釈をかましますが
省略します。
さてパウロス自身も10節のまずさを自覚したので11節で修正します。
それがご質問の個所「死ぬべきからだをも生かしてくださる」です。
「現在、われわれの身体は死んでいる」といったにもかかわらず
「信者の身体は永遠に生かされるのですよ」と矛盾した修正をしているわけです。
10節までの論理と明らかに矛盾するので、このフォローを読むと
混乱してしまうわけです パウロスは困った奴なのです