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0900福音伝道
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2022/06/28(火) 05:55:34.95ID:jXh3cDWN
>>899
24-25節は、汚れた霊の追い出し
43-44節は、らい病癒し
ですね。
私はマルコは単に、
イエースースがヨハネからバプテスマをされたことをトリガーにして
天から霊能力が鳩のようにイエースースに憑依し、超自然能力をゲットした。
それが汚れた霊の追い出し、病癒しであったと思います。

マルコは冒頭で、イエースース・クリストスの福音の始めと言ってますので
秘密も何もメシア=クリストスなので、メシアはイエースースの称号です。
少なくともマルコにとってはメシアであり、教会にとってもそうであったのでしょう。
とはいえイエースースが、自身でメシアと自称した訳では無いと思います。

ヨハネのバプテスマというのはとても荒ぼっく、川に沈めて溺死させ
溺死するー 苦しいという臨死体験を経て、
引き上げられて再生するという、臨死+新生の儀式です。
荒く強制的な霊的な覚醒術であったのでしょう。
これによりイエースースは霊的に目覚めて、霊的な公生活がはじまったのでしよう
0901atheist
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2022/06/29(水) 01:25:19.52ID:TxleH8Xx
>>900
あ、「メシアの秘密」というのは、悪霊やイエスによって癒やされた人がイエスの正体を口外することを
禁じるイエスの発言のことです

ドイツの聖書学者ヴレーデという人が唱えた説だそうで、私はコメンタリー等で言及されていたことで
このフレーズを知りましたが、以前から疑問に思っていたことなのでお聞きしました

簡単に言ってしまうと、なぜマルコはイエスにメシアの正体を口外することを禁止する発言をさせたのか?
ということで、ヴレーデは教会のメシア認識と、マルコが用いた原資料のメシア認識の不在の間隙を
埋めるため、マルコが創作したと考えているようです

先生的にはヨハネによるバプテスマを契機にしてイエス自身が霊的に目覚め、病気の癒やし等の
活動を開始した、という解釈ですね
メシア認識に関しては、イエス自身はそういった認識がなかった、少なくとも自称はしなかった、
ということですね

さて2章ですが、中風患者の癒やしにまつわるエピソードから始まって、取税人レビ(マタイ)のリクルート、
イエスと律法学者たちの有名なやりとりなどが記されています
特に17節の有名なイエスの言葉、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」はイエスの宣教の意図を
端的に表したものだと思います

また早くもこの段階でマルコはイエスに後の受難を予告させています(20節)

21-22節は、一般に新しい教え(イエスの教え)はユダヤ教の古い教え(ユダヤ教の慣習や律法主義)には
適合せず、新しい教えには新しい行動様式が伴わなければならない、だから罪人と食事をしても
断食をしなくても、安息日に穂を摘んでも構わないのだ、というようなことでしょうか
少なくともこのようなイエスの教えと行動は旧来のユダヤ教からすると冒涜とも思えるような
大胆な教えと行動であったと思います

これは前にもお聞きしたような気がしますが、27-28節のつながりがまだよく分かりません
27節は分かるのですが、なぜ「それだから」人の子は安息日にもまた主なのである、とつながるのでしょうか?
0902福音伝道
垢版 |
2022/06/29(水) 06:58:33.67ID:tvRmqWJr
>>901
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ三章です

ヴレーデをぐぐりました。マルコの史実性批判として、「メシアの秘密」という点から
斬り込んで有名になった人だそうです

2:21だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。
もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、
破れがもっとひどくなる。

「真新しい」が誤訳です。原文は「まだ晒していない」です。
洗ったりして晒すと縮みます。普通はそういう作業を経て使用します。
でもここの譬えは、そういう縮む発展途上の布切れをつぎはぎにするのですから
着物を破ることになります。
新しい葡萄酒とは絞っただけの葡萄酒のことで半年ほど熟成させると完成なのですが
搾りたての葡萄酒は発酵途上なので、普通は硬い容器にいれます。水筒として使われた
革袋に入れる場合は古い革袋では持たないので新しい革袋を使ったという話ですので
イエースースの教えは発酵途上の成長する新しいものなので、熟成し完成してしまった
あなたたちの教えを破ってしまうということですね
面白い表現です

27節は、安息日は、人のためにある。つまり人の作った制度は人の為にあるということです
28節は、その「人」の子である私は、制度に従わされる奴隷ではなく、制度の主人である
安息日も人が作った制度の一つなのであるから、人は安息日の主人なのである
という論理です。

ここの「人の子」は、キリスト教ドグマの「人の子」ではなくて
単に人間の子という意味です。イエースースも我々も人間であり、人の子です
0903臨時で名無しです
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2022/06/29(水) 19:24:48.08ID:tvRmqWJr
ルカ9:44
θέσθε ὑμεῖς εἰς τὰ ὦτα ὑμῶν τοὺς λόγους τούτους.
ὁ γὰρ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου μέλλει παραδίδοσθαι εἰς χεῖρας ἀνθρώπων.

θέσθε ὑμεῖς 二複二過命中動+二複主格 あなたがは置きなさい+あなたがたは
εἰς τὰ ὦτα ὑμῶν 前+冠・中複対格+二複属格 〜の中へ+両耳+あなたがたの
τοὺς λόγους τούτους. 冠・中複対格+〃 ことばらを+これらの
ὁ γὰρ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου 冠・接・男単主格+冠・男単属格 なぜなら+子は+人の
μέλλει παραδίδοσθαι 三単現+現不定受 彼はまさに不定詞しようとしている+引き渡される
εἰς χεῖρας ἀνθρώπων.前+女複対格+男複属格 〜の中へ+両手+人々の

スロージューサー訳
あなた方はこれらの言葉を両耳に留めなさい。
なぜなら人の子は人々の両手の中へまさに引き渡されとしているのだから。

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-44.htm
0904臨時で名無しです
垢版 |
2022/06/29(水) 19:40:39.56ID:tvRmqWJr
ルカ9:45
οἱ δὲ ἠγνόουν τὸ ῥῆμα τοῦτο
καὶ ἦν παρακεκαλυμμένον ἀπ’ αὐτῶν ἵνα μὴ αἴσθωνται αὐτό,
καὶ ἐφοβοῦντο ἐρωτῆσαι αὐτὸν περὶ τοῦ ῥήματος τούτου.

οἱ δὲ ἠγνόουν 男複主格+接+三複未完 彼らは+で+彼らは知らないでいた
τὸ ῥῆμα τοῦτο 冠・中単対格+〃 言葉を+この
καὶ ἦν 接+三単未完 そして+それは〜した
παρακεκαλυμμένον ἀπ’ αὐτῶν 完分受中単主格+前・男複属格 覆われていた+〜から+かれれら
ἵνα μὴ αἴσθωνται αὐτό, 前+否定+三複二過接+三単対格 〜のように+彼らが知覚しない+それを
καὶ ἐφοβοῦντο 接+三複未完受 そして+彼らは恐れていた
ἐρωτῆσαι αὐτὸν 過去不定+男単対格 対格に尋ねること+彼を
περὶ τοῦ ῥήματος τούτου. 前+冠・中単属格+〃 〜について+言葉+これらの

スロージューサー訳
が彼らはこの言葉を理解しないでいた。
そして彼らがそれを知覚しないように彼らから覆われていた。
そして彼らは、これらの言葉について彼に尋ねることを恐れていた。

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-45.htm 
0905atheist
垢版 |
2022/06/30(木) 01:12:31.45ID:2s99BI+q
>>902
「まだ晒していない」→「まだ使用に適していない」「使用する前の新しい布」という感じで
意訳してしまったのでしょうね
「新しいぶどう酒」も「まだ飲むには適していない」という感じですかね
すでに完成してしまった律法主義的な古い教えに無理やりイエスの「これからの」教えを
接合してしまえば古い教えを破ってしまうことになるだろう、っていう意味合いなのですね

28節の「人の子」はイエスだと思っていたので、つながりがよく分かりませんでしたが
そのままの意味、つまり人間と取れば、すんなり27節につながりますね

さて3章ですが、冒頭はシナゴーグでの安息日の癒やしで、非常に印象的なエピソードです
2章27章の「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。」という
イエスの教えにそのままつながってきます
それはそのままパリサイ人らのイエス殺害計画を惹起して、イエスはそこから逃れ
ついてきた群衆に囲まれます

11-12節もまた「メシアの秘密」の箇所ですが、そのあとすぐに12弟子の選別が続きます

この章で目を引くのは、21節です
身内の者たちがイエスを気が狂ったと認識している箇所です
ここでは身内の者たちはイエスを直接見てそう思ったのではなく
イエスの噂を聞いてそう思ったわけですから、そう思わせるほどにイエスが
周囲で話題に登るほどの存在になっていたということだと思います

イエスの奇跡譚は信じがたいものが多いのも事実ですが、周囲が騒ぐほどになったということは
少なくとも奇跡と見えるほどの癒やしの実績はあったのだろうと思います

ともかくも31節以降はイエスのことを気が狂っていると思った身内の者がイエスを尋ねますが
最後の二節は非常に印象的な言葉になってます
一聴、冷たい言葉に聞こえますが、「神のみ心を行う」ということがイエスにとっては
何にも勝る徳であったことがよくわかります
0906福音伝道
垢版 |
2022/06/30(木) 06:27:05.85ID:bTtRZRG0
>>905
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ4章です

31節以下は、マルコから見た当時のエルサレム教会が、義人ヤコブを中心とする
イエースースの血縁の者の支配下に置かれているが、イエースースが生きていた頃
彼らは、イエースースをキチガイ扱いにしていたでは無いか、という批判が濃厚に
現れている部分です。マルコの本音です。
0907臨時で名無しです
垢版 |
2022/06/30(木) 20:11:12.91ID:bTtRZRG0
ルカ9:46
Εἰσῆλθεν δὲ διαλογισμὸς ἐν αὐτοῖς,
τὸ τίς ἂν εἴη μείζων αὐτῶν.

Εἰσῆλθεν δὲ διαλογισμὸς 三単二過+接+男単主格 それが入り込んだ+で+思案が
ἐν αὐτοῖς, 前+男複与格 〜中で+彼らの
τὸ τίς 冠+疑 誰が
ἂν εἴη 小辞+三単現希求法 〜か+彼はであろう
μείζων αὐτῶν.比較中単主格+男複属格 より大いなる者+自分たちの

スロージューサー訳
で彼らの中で思案が入り込んだ。
「誰が自分たちのうちでより大いなる者であろうか」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-46.htm
0908atheist
垢版 |
2022/07/01(金) 01:36:06.62ID:DVEBNClW
>>906
31節以下は、マルコが福音書を書いた当時のエルサレム教会が義人ヤコブらイエスの血縁者を中心に
組織されていたことに対するマルコの批判意識が反映されている、ということですね

さて4章ですが、ここでは有名な種まきの喩えを始めとしたイエスの喩えと
喩えで話す理由が語られています
その理由については椅子は11-12節で説明しています
要は、奥義をそのまま話したところで「聞くには聞くが悟らない」から、ということだと思います
表面上、言っていることは分かるのですが、なぜ弟子以外には奥義を話さないのでしょうか?
喩えで話し、その喩えの意味(奥義)をきっちり説明すればいいだけのように思われます
もし弟子以外の人たちが奥義を受け入れられるような精神的な態勢にないというなら
喩えで語ったところで、それを受け入れることはないと思います

私にはイエスは単純に分かりやすいように喩えで語ったのだと思えます
もちろん当時の習慣や風習、言い回しに疎い現代人にとっては
イエスの喩えは必ずしも分かりやすいものではありませんが
当時の人にとってはそれなりに分かりやすいものだったのだと思います

イエスが喩えで話したもうひとつの理由は、喩えで語ることによって
その真意を人々自ら考えるように仕向けるためだったのではないかとも思います

いずれにしても、イエスは弟子のみに奥義を語った、ということはなかったように思います
単に弟子たちがイエスに詳しく話を聞ける立場にあったがために、自分たちだけに奥義を語ったのだと
思い込んでいただけのように思います
0909臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/01(金) 07:24:41.89ID:Vpt+/ZDR
>>908
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ五章です

奥義の原文はミスリテオン。どちらかというと秘儀 秘密 隠されたもの
という意味です。
で、「他の者たち」と訳されている語は「かの者たち」+「外の者たち」という二語
からなりますがユダヤ教では異邦人を指し、民族的排他主義の文脈で使用されますが
マルコはこれを宗教的排他主義の意味で転用しています。
つまりキリスト教信者以外から「隠されたもの」が奥義です。
初期キリスト教のカルト的な閉鎖的な優越意識がここに現れています。

確かにイエースース本人が信者たちだけに、お前たちだけに奥義を伝えると
言ったわけでは無いでしょう。
だいたい弟子たちが譬えの意味を理解できてませんし
0910atheist
垢版 |
2022/07/02(土) 06:26:48.28ID:uVs1kwon
>>909
昨夜はそのまま寝てしまいましたw

なるほど、原語的に見れば「奥義」も「他の者たち」もはるかに排他的、閉鎖的な印象が強まりますね
福音書全体から得られるイエスの言動の印象は、古代ユダヤ社会にあって極めてオープンなもの
だったような気がします
それは取税人や罪人たちとともに食事をするといった行動によく現れています
ですからこのような排他性や閉鎖性は、やはり弟子たちに由来する部分が大きいのではないかと
いう気がどうしてもしてしまいますね

さて5章ですが、ここもまた有名なエピソードが並んでいますね
まずはレギオンに憑かれた人とブタの大群のエピソード、続いて長血の女のエピソードと
少女の復活のエピソードですが、事の真偽は別にして、ここでのイエスは悪霊を追い出し、
不治に見えた病を癒やし、死人を復活させるという、かなり劇的な奇跡の担い手として描かれています

ここでの質問は「レギオン」についてです
もちろんレギオンはローマの軍団のことで、このエピソードでの悪霊も集団であることを
レギオンという名の理由として述べています
しかし単に大勢、集団だからレギオンという名を用いているというよりは
ローマ軍に対する暗黙の批判が込められているようにも思えます
ここではローマ軍=悪霊といったような批判意識がマルコ、あるいはこのエピソードの伝承の担い手たちに
あったと見ていいのでしょうか?
0911福音伝道
垢版 |
2022/07/02(土) 07:02:41.21ID:/3/WsQ6e
>>910
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句は使徒8:1-3,9:1-22です。
睡眠は大切です。睡眠を優先されてください。

仰せの通りでlegioは、ギリシア語で6000人からなる軍団です。
実際には4200〜5000人だったそうですが、ローマはこれを25から33軍団持っていた
そうです。帝国の東端のシリアには四軍団駐留しいたそうです。
当時のことです。5000人の軍団は、嘘みたいに巨大な軍団だったようです。
村の人口が5000人なかったりしますので。
で、雲霞のような大群をレギオンとコイネーで譬える表現が自然にできあがり
マルコもローマ軍に対するせめての反感を表すために悪霊をレギオンと表現したのでしょう
「あいつら大勢でやって来て、いろいろ悪さをしやがる」という気持ちが込められて
いたと思われます
0912臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/02(土) 07:16:17.57ID:/3/WsQ6e
ルカ9:47
ὁ δὲ Ἰησοῦς εἰδὼς τὸν διαλογισμὸν τῆς καρδίας αὐτῶν,
ἐπιλαβόμενος παιδίον ἔστησεν αὐτὸ παρ’ ἑαυτῷ

ὁ δὲ Ἰησοῦς εἰδὼς 冠・接・男単主格+冠分男単主格 で+イエースースは+わかって
τὸν διαλογισμὸν τῆς καρδίας αὐτῶν, 冠・男単対格+冠・女単属格+男複属格 思案を+心の+彼らの
ἐπιλαβόμενος παιδίον 二過分男単主格+中単対格 捕まえて+幼児を
ἔστησεν αὐτὸ 三単過+中単対格 彼は立たせた+彼を
παρ’ ἑαυτῷ 前+男単与格 〜の傍らへ+自分自身の

スロージューサー訳
でイエースースは彼らの心の思索がわかって
幼児を取り上げて自分自身の傍らへと立たせた。

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-47.htm
0913臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/02(土) 21:11:21.77ID:/3/WsQ6e
ルカ9:48
καὶ εἶπεν αὐτοῖς. ὃς ἐὰν δέξηται τοῦτο τὸ παιδίον ἐπὶ τῷ ὀνόματί μου,
ἐμὲ δέχεται. καὶ ὃς ἂν ἐμὲ δέξηται, δέχεται τὸν ἀποστείλαντά με.
ὁ γὰρ μικρότερος ἐν πᾶσιν ὑμῖν ὑπάρχων οὗτός ἐστιν μέγας.
0914臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/02(土) 21:47:20.79ID:/3/WsQ6e
καὶ εἶπεν αὐτοῖς. 接+三単二過+男複与格 そして+彼は言った+彼らに
ὃς ἐὰν δέξηται 関+小辞代+三単過接 〜者は誰でも+彼は受け入れた
τοῦτο τὸ παιδίον 中単対格+冠・中単対格 この+幼児を
ἐπὶ τῷ ὀνόματί μου,前+冠・中単与格+一単属格 〜の理由で+名前+私の
ἐμὲ δέχεται. 一単対格+三単現 私を+彼は受け入れる
καὶ ὃς ἂν ἐμὲ δέξηται, 接+(関・小辞)+三単過接 そして+(〜者は誰でも)+私を+彼は受け入れた
δέχεται τὸν ἀποστείλαντά με.三単現+冠・過分男単対格+対格 彼は受け入れる+遣わした者を+私を
ὁ γὰρ μικρότερος 冠・接・比較級 なぜなら+より小さい者は
ἐν πᾶσιν ὑμῖν ὑπάρχων 前+男複与格+二複与格+現分男複主格 〜の中で+みんなの+あなた方+存在する者は
οὗτός ἐστιν μέγας.男単主格+三単現+形 この者は+彼は〜である+大きい

スロージューサー訳
そして彼は彼らに云った。「この幼児を私の名前故に受け入れた者は誰でも
私を受け入れたのである。そして私を受け入れた者は誰でも私を遣わした方を受け入れたのである。
なぜならあなた方みんなの内でより小さく存在する者は、この者が最も大きいのである」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-48.htm
0915atheist
垢版 |
2022/07/03(日) 00:58:57.97ID:tK9y9Gxt
>>911
5000人前後というのは相当な数ですね
当時のユダヤ人にとっては圧倒的な力の差を見せつけられるような数だったのでしょうね
当然そんなローマ軍に逆らうことなどできず、逆らったとしてもマサダの砦のように
全滅を覚悟しなければならないような状態だったでしょうから
初期のクリスチャンのみならず、ユダヤ人一般にもローマに対する鬱積した感情が渦巻いていたのでしょう

さて休日割当分は使徒のいわゆる「サウロの回心」の箇所ですね

8章冒頭も9章冒頭もパウロが如何に迫害の先頭に立っていたかを描いていますが
これは回心の劇的な性質を際立たせるための描写でもあるのでしょう

ただパウロがクリスチャンを迫害していたのは事実だったでしょうから
そんなパウロがなぜ180度、態度を変えたのか、ということは問われると思います
以前の先生のお話だと、おそらく熱中症による幻覚をきっかけにしたのだろうということでした

積極的にクリスチャンを迫害していたということは、ある意味それだけイエスやクリスチャンに対する
関心が高かったとも考えられるので、もしかしたら回心前からある程度の真実味を感じていたのかも
しれません

パウロはゴリゴリのパリサイ派ですから、イエスの復活ということもそれなりに信じられる心理的土壌が
あったのかもしれません

回心のきっかけは別として、パウロが宣教の先頭に立つほどにキリスト教にのめり込んでいったのは
どのような理由からだと先生はお考えですか?
0916福音伝道
垢版 |
2022/07/03(日) 08:45:06.11ID:/dziQeXc
>>915
たぶんパウロス先生ご自身が、熱射病で倒れてうなされる中、幻覚をみて回心した
話を吹聴されていたのでしょう。
パウロス先生はユダヤ教の超有名先生の弟子であることが自慢の生粋のパリサイ派。
パリサイ派は復活を信じていますが、パウロス先生自身も信じていて
何より死ぬのが怖かった。生きたまま救われたかった。
その心情とキリスト教がびたっときたのかもですし
ステファノスの演説が素晴らしかったので内心、感化を受けていたのかもですね

明日・月曜日の聖句はマルコ六章です
0917東京都
垢版 |
2022/07/03(日) 13:26:10.89ID:+8rnC7PV
泥棒のおじいさん


警視庁から連絡がありました!

警察の資格をはく奪されても構わない
という相談で大丈夫ですと答えられました!

電話もきられました

110 警視庁ダイアルより
0918臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/03(日) 22:36:05.42ID:/dziQeXc
ルカ9:49
Ἀποκριθεὶς δὲ Ἰωάννης εἶπεν. ἐπιστάτα,
εἴδομέν τινα ἐν τῷ ὀνόματί σου ἐκβάλλοντα δαιμόνια καὶ ἐκωλύομεν αὐτόν,
ὅτι οὐκ ἀκολουθεῖ μεθ’ ἡμῶν.

Ἀποκριθεὶς δὲ 過分男単主格+接 答えて+で
Ἰωάννης εἶπεν. 男単主格+三単二過 イオーアンネースは+彼は言った
ἐπιστάτα, 男単呼格 管理者よ 上に立つ者よ 先生よ
εἴδομέν τινα 一複二過+男単対格 我々は見た+ある者を
ἐν τῷ ὀνόματί σου 前+冠・中単与格+二単属格 〜において+名前+あなたの
ἐκβάλλοντα δαιμόνια 現分男単対格+中複対格 追い出しているのを+神霊らを
καὶ ἐκωλύομεν αὐτόν, 接+一複未完+男単対格 そして+我々は妨げた+彼を
ὅτι οὐκ ἀκολουθεῖ接+否定+三単現 なぜなら+彼は従わない
μεθ’ ἡμῶν. 前+二複属格 〜と共に+我々と

スロージューサー訳
でイオーアンネースは答えて云った。
「管理者よ、あなたの名前で神霊ども追い出しているある者を私たちは見ました。
私たちは彼を妨げました。なぜなら彼は私たちと共に従わないからです」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-49.htm
0919atheist
垢版 |
2022/07/04(月) 02:46:38.09ID:nRuBQPTb
>>916
パウロは少なくとも初期の頃は自分が存命中に終末が到来するといった、切迫した終末観を
もっていたように思いますから、生きたまま救われたいという気持ちはあったのかもしれませんね

キリスト教はまさにそういった救いを約束してくれる新しい教えだったので
そこに強く惹かれたのかもしれません

ステパノの演説もそういった気持に一役かったかもですね
0920福音伝道
垢版 |
2022/07/04(月) 06:17:36.46ID:7dcD0KU5
>>919
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ六章です

初期の頃は信者はみんな生きたまま救われると考えてましたね
で、信者に寿命などで死ぬ者が出て来て、救いの遅延問題が発生しましたが
自分だけは生きたまま救われると信じていたのです。
0921臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 16:15:10.96ID:qzcF6xrw
ERROR: 余所でやってください

やて、ワロタああああああああああああああああああ

2チャンも、親切だねええええええ。。。あはははは


おいいい--エロ広告。。。おもろいなあああああああああ

もっと。・。・。やらんかいやあああああ
0922臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 17:54:25.71ID:BKOYslMK
0923臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 17:55:28.69ID:BKOYslMK
0924臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 17:56:55.37ID:BKOYslMK
0925臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 17:58:17.59ID:BKOYslMK
0926臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 17:59:08.85ID:BKOYslMK
0927臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/04(月) 19:14:21.40ID:7dcD0KU5
ルカ9:50
εἶπεν δὲ πρὸς αὐτὸν ὁ Ἰησοῦς.μὴ κωλύετε.
ὃς γὰρ οὐκ ἔστιν καθ’ ὑμῶν, ὑπὲρ ὑμῶν ἐστιν.

εἶπεν δὲ 三単二過+接 彼は言った+で
πρὸς αὐτὸν ὁ Ἰησοῦς.前・男単対格+冠・男単主格 〜へ向けて+彼+イエースースは
μὴ κωλύετε.否定+二複現命 あなた方は妨げるな
ὃς γὰρ οὐκ ἔστιν 男単主格+接+否定・三単現 この者は+なぜなら+彼は〜ではない
καθ’ ὑμῶν, 前+二複属格 〜逆らって+あなた方の
ὑπὲρ ὑμῶν ἐστιν.前+二複属格+三単現 〜の益の為に+あなた方の+彼は〜である

スロージューサー訳
でイエースースは彼へ向けて云った。
「妨げてはならない。なぜならば、あなた方に逆らってない者は、あなた方の益となるからである」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-50.htm
0928atheist
垢版 |
2022/07/05(火) 00:13:31.53ID:4Ej35aUD
>>920
いわゆる終末遅延問題ですね
パウロは最後の最後に結局期待した終末が来なかったことをどのように感じたのでしょうね

さて6章は弟子たちへの宣教令、バプテスマのヨハネとヘロデ王の逸話、最後にイエスの水上歩行と
これまた有名な話が連続していますが、今回気になったのは3節から5節です

3節ではイエスにたくさんの兄弟姉妹がいることが示され、また2節で語られるような力や知恵とは
ほど遠い家の出であることが暗示されています
さらに4節ではイエスのことをよく知っている郷里ではイエスは敬われることがないことも暗示されています
ダメ押しは5節の「力あるわざを一つもすることができず」の部分です

この箇所を読む限り、イエスのことを昔からよく知っている人たちにはイエスは奇跡を起こさず
イエスのことをよく知らないひとたちに対してだけ奇跡を起こしていることになります

これはイエスのことを昔からよく知っている人たちには奇跡譚は通用しない、と読めてしまいます
つまり、イエスの奇跡譚は創作であることを強く示唆しているように思えます
4節のイエスのことばはマルコによる言訳に聞こえます

このことに関して、先生はどのようにお考えでしょうか?
0929福音伝道
垢版 |
2022/07/05(火) 05:38:50.39ID:MYd8XCFZ
>>928
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ7章です。

イエースースの奇跡は聖霊によるものです
聖霊による奇跡が発動するには条件があります。
癒される側が癒されると信ずることです。
なのでイエースースは
「あなたの信仰があなたを救った」というわけです。

しかしイエースースのことをよく知る故郷の人は
大工の息子のイエースースやん。あいつが奇跡なんてできるはずがない
と疑っているわけです
その不信仰の前では聖霊による奇跡は発動しないのです。
イエースース本人が驚きあきれるほどであったのでしょう。

私は信仰の有効性が語られている逸話であると考えています。
イエースースはそんな不信仰な故郷でも、少しは病気癒しをされていますし
0930臨時で名無しです
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2022/07/05(火) 20:02:28.49ID:MYd8XCFZ
ルカ9:51
Ἐγένετο δὲ ἐν τῷ συμπληροῦσθαι τὰς ἡμέρας τῆς ἀναλήμψεως αὐτοῦ
καὶ αὐτὸς τὸ πρόσωπον ἐστήρισεν τοῦ πορεύεσθαι εἰς Ἰερουσαλήμ.

Ἐγένετο δὲ 三単二過+接 それが起こった+で
ἐν τῷ συμπληροῦσθαι 前+冠・現不定受 〜に+満たされた時
τὰς ἡμέρας τῆς ἀναλήμψεως αὐτοῦ 冠・女複対格+冠・女単属格+男単属格 日々が+取り上げの+彼の
καὶ αὐτὸς τὸ πρόσωπον 接+男単主格+冠・中単対格 そして+彼は+顔を
ἐστήρισεν τοῦ πορεύεσθαι 三単過+冠・現不定 彼は堅くした+行くために
εἰς Ἰερουσαλήμ.前+無変 〜へ+イエルーサレーム

スロージューサー訳
で、彼の取り上げの日々が満たされた時、
彼はイエルーサレームへ行くために顔を堅くした。

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-51.htm
0931atheist
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2022/07/06(水) 01:08:42.46ID:qvra55EQ
>>929
なるほど、イエスの奇跡は聖霊によるものであり、聖霊による奇跡には発動条件がある、ってことですね
その発動条件が奇跡を受ける側の信仰ということですね
たしかに「癒やし」については聖書的に見てこの発動条件は理にかなってるように思えます
ただ水上歩行や食糧増産などは必ずしも奇跡の受けてがいるわけではないか、あるいは
受けてがその奇跡を信仰している
0932atheist
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2022/07/06(水) 01:25:59.58ID:qvra55EQ
>>931
すみません、途中で送信してしまったようです

続きですが、
ただ水上歩行や食糧増産などは必ずしも奇跡の受けてがいるわけではないか、あるいは
受けてがその奇跡を信仰しているわけではないようです
こういった奇跡についても、やはり創作ではなく聖霊による奇跡だとお考えでしょうか?

さて7章ですが人の定めた戒めと神の戒めを対比し、神の掟の重要性を述べていますね
口に入るものではなく、口から出ていくものこそが人を汚す、と

ここはけっこう宗教的には重要で、19節にあるように、イエスはユダヤ教の食事規定には
まったく拘っていないことがわかります

このあたりも形式主義的、儀礼主義的なユダヤ教に対して、実質主義的、精神主義的なイエスの教え
の新しさと言えるのだと思います

後半はマタイのところでも出てきた異邦人の女の話で
どちらかというとあまり評判の良くない27節のイエスのことばがある箇所です
ここは以前にも書きましたが、私はイエスの福音伝道のユダヤ人優先の姿勢が現れていると
思っています
ただユダヤ人優先というのは、ユダヤ人のほうが救いに近いとか優れているとかいったことではなく
神の民であるユダヤ人がまず悔い改め、そしてそのユダヤ人を通じて福音が世界に広がっていくことを
イエスは構想していたように思います
具体的にはイエスの弟子たちによって

31節以降の聾唖者者というか耳が聞こえない人のエピソードでもまたまた「メシアの秘密」が
描かれています
わたしにはマルコはこのメシアの秘密に非常に拘っているように思えます
0933福音伝道
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2022/07/06(水) 04:55:28.98ID:HYrTTcUY
>>932,931
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ8章です。

食糧増産は色んな解釈をお聞きしたことがあります。
精神的に満たされたとか、おのおの食事を持っていたとか
私の注目点は奇跡では無くて現代の教会の聖餐との対比です
教会は、未信者は聖餐に相応しくないとして(ディダケーが根拠)、未信者を排除しますが
イエースースは「やって来た者」すべてを受け入れパンを分かち合います。
教会はこれを愛餐(アガペー)と理解し聖餐と区別していますが、
これこそがイエースースの聖餐の本質であると私は考えます。

水上歩行はどうでしょうか。あったような気もしますし、後世の作り話かもですね
0934福音伝道
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2022/07/06(水) 05:13:09.85ID:HYrTTcUY
続き。
7:19のイエースースの議論には違和感があります。
1.食事前に手を洗うのは現代でも普通のことである
2.外から入るモノは悪さしないという議論には意義がある
 衛生的にも手を洗う方が安全であり、幼稚園児の時代から我々は
 習慣づけられている
3.しかも素手でパンを食べるのに手を洗わない弟子たちは
 マナーがなっていない。リーダーとしてあなたは注意指導すべきである
4.「人の心の中から、悪い思いが出て来る」の議論はその通りだが
 衛生問題と次元の異なる話である

ツロの女の話。
イエースースは、この異邦人の女性にあって進化します。
異邦人よりユダヤ人の救いを優先するという民族主義を、
この女性の信仰に接して脱し、区別なく救います。
しかーし、この話は実話では無く、後の教会のドグマによって
作られた作り話です。
なぜなら、史実のイエースースに対して「主よ」という呼び方をする者は
皆無だったからです。ユダヤ教が神に祈る際に「主よ、主よ」と祈っていたのを
その後のキリスト教会がイエースースに対して使用しだし、使用しだすと
イエスの逸話にも「主よ」という呼びかけが使われる様になったのです。
それで、この逸話は後世の作り話だとわかります。
が、教会がユダヤ主義を捨て、コスモポリタンに脱皮した故に形成された逸話ではあります
0935臨時で名無しです
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2022/07/06(水) 19:06:05.00ID:HYrTTcUY
ルカ9:52
Καὶ ἀπέστειλεν ἀγγέλους πρὸ προσώπου αὐτοῦ.
καὶ πορευθέντες εἰσῆλθον εἰς κώμην Σαμαριτῶν ὡς ἑτοιμάσαι αὐτῷ.

Καὶ ἀπέστειλεν ἀγγέλους 接+三単過+男複対格 そして+彼は遣わした+使者らを
πρὸ προσώπου αὐτοῦ. 前+中単属格+男単属格 〜より先に+顔の+彼の
καὶ πορευθέντες εἰσῆλθον 接+過分男複主格+三複二過 そして+進んで+彼らは入って行った
εἰς κώμην Σαμαριτῶν 過不定+前・女単対格+ +〜の中へ+村+サマリアの
ὡς ἑτοιμάσαι αὐτῷ.副+過不定+男単与格 〜のように+準備すること+彼に

スロージューサー訳
そして彼は死者らを彼の顔より先に遣わした。
そして彼らは進んで、サマリアの村へ入って行った。彼に準備するために。

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-52.htm
0936atheist
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2022/07/07(木) 01:01:09.11ID:oOgXtkwF
>>933
食糧増産に関しては、文字通りではなく比喩的な解釈もあるんですね
先生の聖餐という視点からの解釈は面白いですね
こういう解釈は初めて聞きました
たしかに現代人としての我々は、この奇跡が事実であったかどうかということよりも
この奇跡が指し示している「排除なき分かち合い」という部分に着目したほうが良いのかもしれません

>>934
手洗いに関しては、先生は衛生上の観点から、イエスの議論には疑問あり、という立場ですね

ツロの女に関しては、むしろイエスのほうがツロの女によって教えを進化させた、という解釈なんですね
この話が後の創作かどうかはわたしは分かりません
「主よ」という呼びかけだけで創作と断定するのは難しいような気がします
単純にその「主よ」という部分だけ後代に挿入(変更)されただけかもしれませんし
私はイエスがユダヤ12支族を暗示する12使徒を取っていること、
ユダヤ人(神の民)に対する悔い改めを主軸に宣教していること、律法の新たな解釈を中心に
教えを説いていること、などから、イエスの宣教姿勢とこのエピソードには整合性があるように
感じています

さて8章ですが、ここもまた重要な箇所をいろいろ含んだ章ですね
というかマルコは簡潔な分だけあって、非常に密度の濃い福音書になっているように思います
まずこの章で気になったのは12節です
ここでイエスは「しるしは今の時代には決して与えられない」と言っていますが
例えばヨハネ福音書などはイエスが今の時代に対して何度も何度もしるしを与えている様が
描かれています
このイエスのセリフの真意はどういうことなのでしょうか?

それから14節から始まるイエスと弟子たちのやりとりで、イエスは弟子たちにパンくずのかごの数を
答えさせ、「まだ悟らないのか」と問いかけています
このパンくずのかごの数はどんな意味を持っているのでしょうか?
0937福音伝道
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2022/07/07(木) 06:06:30.58ID:+0g3/7zx
>>936
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ9章です。

12節の原文は、「γενεα時代・世代+ αυτηこの」で、私は「この時代」と訳しました
「この世代」と訳すると、イエースースを試みようとしたパリサイびとに対して
「おまえたちの世代」にはしるしを与えられないという意味が端的となります。
つまり、「相手を試すためにしるしを証拠として求めるような時代・世代には
しるしは与えられない」ということです。

まあでも小5の私は、クラスメートに「しるし」を求められて
クラスメートの前で「しるし」を三度示しました。結果に喜んで
そして教会で報告すると、怒られてしまいました。
「奇跡をそういう風に利用するのは神を試す罪となるので決してしてはいけない」と
イエースースは小5の私と違って相手にしなかったわけですね

籠の原語は、五千人の時と四千人の時は別の単語を使い分けていますので
マルコとしては二つを区別しているようですが、議論の本旨は
イエースースが
1.パン種に気をつけよという議論をしたのはパンが一つしかないことではなくて
 パリサイびととヘロデのようになると注意したわけです。
2.しかし弟子たちはパンがひとつしかないことばかりに気を奪われて
 イエースースの話の本旨に関心がいってません
3.そこでイエースースは、五千人に五個のパンを分けて余ったパンくずが12籠に
なったこと。つまりみんなが満ち足りた事を思い出させ、一つのパンで飢餓を
心配する弟子等にそんな心配はないと教えているわけです。
そしてイエースースのパンだねの比喩に注目するように促しているわけですが
4,更に追い打ちで四千人の時のパンくずの籠も思い出させようとしているわけです

パンくずの籠は、五千人や四千人が満ち足りたことを示しています。
イエースースと共にある時、一つのパンがあれば、千人が満ち足りるのです
0938臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/07(木) 19:52:29.83ID:+0g3/7zx
ルカ9:53
καὶ οὐκ ἐδέξαντο αὐτόν,
ὅτι τὸ πρόσωπον αὐτοῦ ἦν πορευόμενον εἰς Ἰερουσαλήμ.

καὶ οὐκ ἐδέξαντο αὐτόν, 接+否定・三複過+男単対格 そして+彼らは受け入れなかった+彼を
ὅτι τὸ πρόσωπον αὐτοῦ 接+冠・中単主格+男単属格 なぜなら+顔が+彼の
ἦν πορευόμενον 三単未完+現分中単主格 それが〜であった+進んで行った
εἰς Ἰερουσαλήμ.前+無変 〜の中へ+イエルーサレーム

スロージューサー訳
そして彼らは彼を受け入れなかった。
なぜならば彼の顔がイエルーサレームへと進んでいたからである

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-53.htm
0939atheist
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2022/07/08(金) 02:27:13.80ID:LHG1gNS/
>>937
なるほど、「相手を試すためにしるしを証拠として求めるような時代・世代には
しるしは与えられない」と考えれば、実際に当時の時代や世代ということよりも
そういった人たちという意味合いになって、ヨハネと矛盾しないかもしれませんね

先生が示された「しるし」にはちょっと興味がありますが
要はしるしを神を試すために使用するのはダメってことですね

パンくずのかごの数に関しては、数そのものに意味があるのではなく
皆が満ち足りなのだからそれを心配するのではなく
パリサイ人やヘロデのパン種についてイエスが言ったことに着目せよ、ってことですね

さて9章ですが、イエスのtransfiguration(変身)の描写に続いて、子どもに憑いた悪霊の追い出しの
描写がありますが、その間にイエスの受難予言や弟子たちの傲慢さを示すエピソードが挟まれています

ここで気になったのは、まず13節の「エリヤはすでにきた」というところですが、これは
洗礼者ヨハネのことを言っていると考えて良いのでしょうか?

悪霊に憑かれた子は症状的に癲癇だと思われますが、癲癇の原因がまだ分からなかった古代では
これを悪霊に憑かれた症状と考えるのは、ある意味当然だったのかもしれませんね
それはともかく気になったのは29節の「このたぐいは、祈りによらなかれば追い出せない」という部分です
今までの悪霊追い出しには特に祈りが要件として入っていなかったと思いますが
ここではなぜ祈りが要件となっているのでしょうか?

最後に43節から始まる地獄の消えない火の話を受ける形で、49節にも火が出てきますが
ここでの火は地獄の火とは無関係なのでしょうか?
それと「火で塩づける」とはどういう意味なのでしょうか?
0940福音伝道
垢版 |
2022/07/08(金) 06:31:12.46ID:Bla7G7N7
>>939
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ10章です


13節エリヤはバプテスマのヨハネのことですね
症状的に見て癲癇ですが、原文は聾唖の霊。癲癇という言葉がギリシア語にも
あるのに使われてません。ポイントはここでも信仰で、23節。
「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
父親が治ると信ずるならば、病気は治る。
お前さんが信じてないから、弟子たちが癒しても無効なのだということ。
24節で、はっと気づき悔い改めた父親は
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」と方向転換します。
そして治癒します。奇跡が起こったわけです
28-29節は、27節までの奇跡物語を受けての後代の付加です。
初期キリスト教界が「癲癇に対して悪魔祓いする際のテクニックとして祈りを
用いた」ということです。で、重要な二本以外のほぼ全部の写本は「祈りと断食」となって
おり、更に「断食」が増し加えられていますが、正文批判の結果、「祈り」だけの
方が原形に近いと言う事になっています。

まずゲヘナの火は、永遠に燃え続ける「消えない火」です。
我々罪びとは、その「消えない火」で焼かれ続けて、罪を消毒されて
罪を塩的にされて、罪を浄化されるということですね。
原文は「塩」という名詞に他動詞語尾をつけて「塩的にする」という言葉です
古代ではものを保存する時に塩漬けにしました。
例えば神殿への犠牲獣の奉納は塩漬けにされました。腐敗防止ですね
レビ 2:13あなたの素祭の供え物は、すべて塩をもって味をつけなければならない。
あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。
すべて、あなたの供え物は、塩を添えてささげなければならない。

ゲヘナの火で焼かれると、結果塩漬けにされるというアイデアは意味不明ですが
そう書かれています
0941山口剛士
垢版 |
2022/07/08(金) 19:49:19.87ID:PQwelkEN
在日チョン千代豊和 家  住所
千葉市美浜区真砂5-22県営住宅海浜検見川団地1号棟302号室
0942atheist
垢版 |
2022/07/08(金) 23:34:58.15ID:LHG1gNS/
>>940
13節のエリヤはそのままバプテスマのヨハネでいいってことですね

なんで聾唖の霊なんでしょうね
マルコがあまりこの類いの症例に詳しくなかったのかもしれません
ここでも治癒を受ける側の信仰が問われているということですね

28-29節はイエスの発言ではなく、初期キリスト教における悪魔祓いの技法が
イエスの発言として挿入された箇所なんですね

火と塩の部分は、まず日で焼かれることで罪が塩化(浄化)されるというような当時の考えと
供え物は腐敗防止のため塩漬けにするという宗教的習慣から来る、塩は宗教的に良いものという考えが
結びついて、このような聖句になった、って感じですね

さて10章ですが、冒頭は離縁否定の教え、それから素直に神の国を受け入れる幼子の喩え、
そして金持ちの青年のエピソードと続き、受難の予言、仕えることの重要性に関する説教、
最後に盲の癒やし、という感じで、やはり教えやエピソードが簡潔に連続しています

ここでの質問は、以前も聞いたことかもしれませんが18節のイエスのセリフに関してです
ここではイエスは神と自分をはっきり分け、善なる者は神一人と言い切っています
マルコはイエスを「メシアの秘密」に見られるようにメシアとして描いてはいますが
神としては描いていません
のちのルカやヨハネでは神格化が進み、イエスを実質的に神として描くようになっていきますが
マルコの認識としては、やはり神に遣わされた者、神に特別に選ばれたメシアという認識であるように
思います

先生はこのイエスのセリフは真正のものとお考えですか?
0943福音伝道
垢版 |
2022/07/09(土) 04:32:04.95ID:+agPONRQ
>>942
atheistくん、おはようございます。土日の聖句は使徒11:19-30,13:1-12です

新約聖書でイエースースを神とはっきりと描いているのはヨハネ福音書だけだと
思います。
そしてヨハネ福音書はトルコ成立のグノーシス異端の書だと考えます。
エイレナイオスがグノーシスが吹き荒れるトルコから
現在のフランスに持ち込み、ロンダリングして四福音書説をぶちかまして
管区のローマに認めさせ、四福音書を正統にさせた。
その後、アフリカのアレクサンドリアがヨハネに目をつけ、ヨハネをベースに
他の福音書や手紙を読むキリスト教神学を打ち立て三位一体説となった。
という風に推定しています

このエピソード自体は本当だったと思います。
金持ちは財産をすべて貧しい人と分かち合うことができないゆえに
神の国に入るのは難しいとイエースースは考えていたし
自分を神とは考えて無かったでしょう
0944atheist
垢版 |
2022/07/09(土) 23:48:52.58ID:TBNYYfJY
>>943
そういえば先生はヨハネ福音書=グノーシス文書説でしたね
わたしはヨハネ福音書はグノーシス派に対する対抗意識のもとに書かれた福音書ではないかと
推測しますが、実際のところ詳細に調べたわけでもないので、ほとんど憶測の域を出ません
ヨハネ福音書がどのような成立過程を経たかは別にして、ともかくもキリスト教神学にとっては
決定的な礎になった福音書ですね(特に1章冒頭)

わたしも18節のイエスのセリフは史実に近いものだと思います
というのはイエスをメシアとして描き出そうとするマルコにとって
このイエスのセリフは必ずしもそれに沿ったものではないからです
一般に著者の神学的意図に反する(沿わない)記述は著者の神学によって改変されたものではない
可能性が高いわけですから、ここも史実性が高いのではないかと考えています

とするとこのセリフを含む金持ちの青年のエピソードもそれなりの史実性があるのではと思います
イエスの他の教えとも整合性がありますしね

さて休日の箇所ですが、バルナバとパウロの宣教を記述した箇所ですね
この前読んだときには気づきませんでしたが、2節のバルナバとパウロを聖霊のために聖別するとは
いったいどういうことなのでしょうか?
バルナバもパウロもこの時点ではすでに聖霊を受けてクリスチャンになっているという意味では
すでに聖別されていると思うのですが、さらにここで聖別するというのがどういうことなのか分かりません
特段の意味はなく、単に一種の験担ぎみたいなものなんでしょうか?
0945福音伝道
垢版 |
2022/07/10(日) 07:43:28.54ID:A9cYxw46
>>944
atheistくん、おはようございます。明日の聖句はマルコ11章です

※「わたしのために聖別して」の原文は
私のために「分けて」です。意味は「選んで」です。
「聖別」の「聖」が原文にはありませんが、発言者が聖霊なので
口語訳は名訳を産んだのですね。でもわかりにくい。

だいたい聖書の翻訳は難解です。
「福音」って意味不明です。英訳のグッドニュースを中学生の頃に聞いてはじめて
ピンときました。
0946臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/10(日) 08:01:08.42ID:A9cYxw46
ルカ9:54
ἰδόντες δὲ οἱ μαθηταὶ Ἰάκωβος καὶ Ἰωάννης εἶπαν. κύριε,
θέλεις εἴπωμεν πῦρ καταβῆναι ἀπὸ τοῦ οὐρανοῦ καὶ ἀναλῶσαι αὐτούς ;

ἰδόντες δὲ οἱ μαθηταὶ二過分男複主格+冠・男複主格 見て+で+弟子等が
Ἰάκωβος καὶ Ἰωάννης 男単主格+接+〃 イアコーボスが+そして+イオーアンネースが
εἶπαν. κύριε, 三複過+男単呼格 彼らは云った+主よ
θέλεις εἴπωμεν 二単現+一複二過接 あなたは欲する+私たちは云った
πῦρ καταβῆναι 中単主格+二過不定 火が+降って
ἀπὸ τοῦ οὐρανοῦ 前+冠・男単属格 〜から+天
καὶ ἀναλῶσαι αὐτούς ;接+過不定+男複対格 そして+滅ぼす+彼らを

スロージューサー訳
で弟子等が、イアコーボスそしてイオーアンネースが見て
「天から火を降して、そして彼らを滅ぼす」と私たちが言った事をあなたは欲しますか

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-54.htm
0947臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/10(日) 08:09:48.14ID:A9cYxw46
ルカ9:55
στραφεὶς δὲ ἐπετίμησεν αὐτοῖς.

στραφεὶς δὲ 二過分受男単主格+接 振り向いて+で
ἐπετίμησεν αὐτοῖς.三単過+男複与格 彼は与格を叱った+彼らに

スロージューサー訳
で振り向いて、彼は彼らを叱った。

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-55.htm
0948臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/10(日) 08:18:50.25ID:A9cYxw46
ルカ9:56
καὶ ἐπορεύθησαν εἰς ἑτέραν κώμην.

καὶ ἐπορεύθησαν 接+三単過 そして+彼は赴いた
εἰς ἑτέραν κώμην.前+女単対格+〃 〜の中へ+他の+村

スロージューサー訳
そして彼は他の村へ赴いた

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-56.htm
0949atheist
垢版 |
2022/07/11(月) 00:37:22.70ID:dS2vWDOC
>>945
原語では、聖と俗を分けて神のものとする、というような意味での聖別ではなく
単に選ぶという意味だったんですね
これならすんなり意味が理解できます
ただ聖霊による特別任務みたいな感じで、ここでは聖別と訳してる感じですかね

たしかに聖書の翻訳は一読してすぐには意味が理解できないような言葉が多いですね
元々文語訳から引き継いだ翻訳というのもあるでしょうが、聖なる書なので
やや大仰に訳してるところもあるのでしょうね
0950福音伝道
垢版 |
2022/07/11(月) 05:49:57.00ID:tG+ASFAV
>>949
atheistくん、おはようございます。
本日の聖句はマルコ11章です。

文語訳の方がカッコはいいのですけどね
そして口語訳で育ちましたので、その難解な用語に馴染みはあります。
しかしリビングバイブルの英訳の方がピンとくるのも事実です
0951臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/11(月) 19:52:12.06ID:tG+ASFAV
ルカ9:57
Καὶ πορευομένων αὐτῶν ἐν τῇ ὁδῷ εἶπέν τις πρὸς αὐτόν.
ἀκολουθήσω σοι ὅπου ἐὰν ἀπέρχῃ.

Καὶ πορευομένων αὐτῶν 接+現分男複属格+男複属格 そして+進んで行く+彼らの
ἐν τῇ ὁδῷ 前+冠・女単与格 道中で
εἶπέν τις πρὸς αὐτόν.三単二過+男単主格+前・男単対格 彼は言った+ある者が+〜に向けて+彼
ἀκολουθήσω σοι 一単未+二単与格 私は従うだろう+あなたに
ὅπου ἐὰν ἀπέρχῃ.(関係副+接)+二単現接 (〜どこへでも)+あなたが出向く

スロージューサー訳
そして彼らが進んでいく道すがら、ある者が彼に向けて云った
「あなたが出向くどこへでも私は従うでしょう」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-57.htm
0952atheist
垢版 |
2022/07/12(火) 00:26:25.91ID:uETrAEIa
>>950
文語訳は響きがいいですよね
私は前にも書いた通り、まともに聖書を読んだのはNIVが初めてでした
その後も聖書は英訳聖書で馴染んでいたので、この板に来たときは
日本語訳、特に人名・地名が分からず苦労しました
口語訳はそれに輪をかけて、こんな日本語使うの?というような日本語があったりするので
未だに苦労してますw

さてマルコ11章ですが、イエスのエルサレム入城の箇所ですね
途中、いちじくに対する呪いがありますが、これはどう見ても大人げないですw
もちろんその後に続く「心に疑わず信じるなら、そのとおりになるであろう」という言葉の
前座的なエピソードとして挿入されているのでしょうが、もうちょっとましなエピソードはなかったのかと
思います

この一見大人げないエピソードがなぜ挿入されたと先生は思われますか?

ここでのハイライトはイエスの宮荒らしだと思いますが、ここは真っ向からユダヤ教の権威に
楯突くような行為なので、そりゃ恨みを買うだろうなと予想できます
もちろんイエスはそのような恨みを織り込み済みで、このような行為に至ったのでしょうが
イエスの言葉に感動した群衆がいなければ、即取り押さえられていたでしょうね

最後の権威に関する問答は、イエスの才気を示した問答だと思います
イエスはバプテスマのヨハネを引き合いに出していますが、これはイエス自身にも言えることで
律法学者らがどちらとも答えられないような質問にすることで彼らの糾弾をかわしています
0953福音伝道
垢版 |
2022/07/12(火) 05:46:31.58ID:zBUhwewX
>>952
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ12章です。

>この一見大人げないエピソードがなぜ挿入されたと先生は思われますか?
1.ペトハゲという地名は「未熟なイチジクの家」という意味の地名で、
神殿に奉納するパンを焼いたりや過ぎ越し祭の羊を屠ったりしていたそうです。
本来はエルサレムでしなければならいそうなのですが、ペトハゲだと市域ということ
でOKになったそうです。「未熟なイチジクの家」という地名にちなんだエピソードが
盛られた可能性があります
2.全写本が腹が減ったので季節外のいちじくの木に実を探しにいったがなかったので
呪ったという幼稚園児並みの拗ねたエピソードを記載していますので、事実として
イエースースがそうしたのかもです。
マルコ的にはイエースースが呪ったら木が枯れるという奇跡をしるしたのかもですね

キリスト教神学では「宮清め」と呼んでいますが、確かに客観的には「宮荒し」ですね
神殿機能の根幹である神殿商人への攻撃は、神殿経営者からすると、神殿の聖性への
否定です。なぜなら神殿商人が汚れた貨幣を聖なる貨幣に変換することで献金が成立し
犠牲獣を売る事で遠方から運んでくる苦労を肩代わりしていたからです。
しかし同時に暴利をむさぼっていて、神殿関係者にバックマージンを支払っていた
この機能をイエースースはピンポイントで攻撃したのですから恨まれることになります
まあ現代日本で伊勢神宮や靖国神社で同様のことをすれば即座に逮捕されます
0954臨時で名無しです
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2022/07/12(火) 22:11:25.43ID:zBUhwewX
ルカ9:58
καὶ εἶπεν αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς. αἱ ἀλώπεκες φωλεοὺς ἔχουσιν
καὶ τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ κατασκηνώσεις,
ὁ δὲ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου οὐκ ἔχει ποῦ τὴν κεφαλὴν κλίνῃ.

καὶ εἶπεν αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς. 接+三単二過+男単与格+冠・男単主格 そして+言った+彼に+イエースースは
αἱ ἀλώπεκες φωλεοὺς ἔχουσιν 冠・女複主格+男複対格+三複現 狐らは+巣穴らを+持つ
καὶ τὰ πετεινὰ τοῦ οὐρανοῦ 接+冠・中複主格+冠・男単属格 そして+飛ぶモノたちは+天の
κατασκηνώσεις, 仮小屋らを
ὁ δὲ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου 冠・接・男単主格+冠・男単属格 で+子は+人の
οὐκ ἔχει 否定+三単現 彼は持たない
ποῦ τὴν κεφαλὴν κλίνῃ.関係副+冠・女単対格+三単現接 どこに+頭を+彼は曲げる

スロージューサー訳
そしてイエースースは彼に言った。「狐らは巣穴を持つ。
そして空の飛ぶモノらは仮住まいを。
が、人の子は頭を枕する場所を持たない。」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-58.htm
0955atheist
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2022/07/13(水) 02:29:55.11ID:nhZzUl/f
>>953
実際に「未熟なイチジクの家」という意味の地名なんですね
信仰の実を結ばない人の暗喩として、この地名に引っ掛けて
こういったエピソードを挿れたのかもしれませんね

イエスの側から見れば「宮清め」だし、ユダヤ教徒の側から見れば「宮荒らし」になりますね
同じ行為であっても見る人によって180度見方がことなってしまいます

さて12章ですが、ここは重要なイエスの譬えや教えがぎっしり詰まっていますね

まずはぶどう園の譬えで、これはまさにイエスの受難を暗示しているように思います

次に有名な「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」という切り返しですが
ここはうまく世俗の権力と宗教的権威を衝突させない教えになっていますね

さらにサドカイ人が持ちかけた「妻のパラドクス」に対しても復活後は今のような性のある存在ではなく
天使のような存在になる、という答えを提示してパラドクスを回避しています
ここは実際にイエスは復活後の存在を性なき存在と考えていたのでしょうか?
キリスト教では復活後もこの世での自我(個性)を引き継ぐと考えているように思います
前世の記憶が消されて新たに転生するといった輪廻的な概念がないからです
もし復活後もその人固有の自我・個性を引き継ぐとしたら
その人固有の自我と性は密接不可分だと思われるので
このような中性的な存在はかなり無理があるように思われます

そのあとは最も大切な律法、すなわち神への愛と隣人愛が語られ
さらには律法学者を痛烈に批判し、最後は貧しいやもめの話し、つまりお賽銭(献金)は
絶対額ではなく、各人の資産や財産に比した相対額で見るべきことが語られます
この相対額の重視は、イエスが外面的な行為よりも、その動機や心の持ち方を重視していたことの
現れであると思います
0956福音伝道
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2022/07/13(水) 06:26:22.04ID:ylVRmbaV
>>955
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ13章です
大雨、大変ですね。

有名な「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」を教会は
政教分離的に解釈していますが、これは神殿税で儲けている連中への皮肉です。
1.イエースースの頃、人頭税をローマに支払っていたのはユダヤ、サマリヤなどの
直轄領の者です。ガリラヤびとを支配していたのはヘロデ家なので支払ってません
2.イエースースに質問している連中は神殿税で儲けている連中である。
「おまえたちは神のものは神へと言って神殿税をしこたま懐にしているではないか
皇帝に税を納める是非をお前たちが問う資格があるのかね」
という意味です

復活を否定するサドカイ派と肯定するパリサイ派が当時あって
その立場から屁理屈論争をイエースースにふっかけたものだが
25節で端的にイエースースの主張を述べたと思います。

そもそも神に性はありません。天的存在者たちもそうです。
聖書的には人はオトコとオンナでひとつになって完全者となるわけですが
天的には一つの魂で完全なのです。
「めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである」
というイエースースの答えに私は驚嘆させられたものです
0957 [Φ|(|´|Д|`|)|Φ] BBxed!! 臨時で名無しです
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2022/07/13(水) 06:31:15.30ID:lzuyV6I/
宗教は発言に証拠が必要ないから嘘言い放題
宗教法人は詐欺師の温床になってる
信教の自由を理由に宗教法人は保護されてるが
宗教法人非課税で宗教の営利活動を補助するのは拡大解釈すぎる

個人が何を信じようが自由だが
宗教を盾に詐欺行為をしていいって文言ではない
証拠の明示を必要としない宗教は、営利活動した時点で詐欺と変わらないんだから
むしろ高い宗教法人税を課税して弱体化すべきだと思う

だが与党が超カルト

自民=とういつきょうかい
こうめい=そうか
0960福音伝道
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2022/07/13(水) 19:57:30.91ID:ylVRmbaV
>>959
ありがとうございます
0961福音伝道
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2022/07/13(水) 20:24:46.65ID:ylVRmbaV
ルカ9:59
Εἶπεν δὲ πρὸς ἕτερον. ἀκολούθει μοι. ὁ δὲ εἶπεν.
[κύριε,] ἐπίτρεψόν μοι ἀπελθόντι πρῶτον θάψαι τὸν πατέρα μου.

Εἶπεν δὲ πρὸς ἕτερον. 三単二過+接+前+男単対格 彼は言った+で+〜に向けて+他の者に
ἀκολούθει μοι. 二単現命+一単与格 あなたは従いなさい+私に
ὁ δὲ εἶπεν.男単主格+接+三単二過 彼は+で+彼は言った
[κύριε,] ἐπίτρεψόν μοι 男単呼格+二単過命+男単与格 主よ+あなたは与格に許して下さい+私に
ἀπελθόντι πρῶτον 二過分男単与格+副 立ち去る事を+第一に
θάψαι τὸν πατέρα μου.過不定+冠・男単対格+一単属格 葬るために+父を+私の

スロージューサー訳
で、他の者に向けて彼は言った。「あなたは私に従いなさい」
で、彼は言った。「主よ、まず私の父を葬るために立ち去ることをお許しください」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-59.htm
0962臨時で名無しです
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2022/07/13(水) 23:05:47.78ID:Hoo96imt
あべええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
0963福音伝道
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2022/07/14(木) 05:05:05.89ID:tA9q3wEi
atheistくん、おはようございます。
大丈夫でしょうか。サイタマは大雨のようですが。。。
0964atheist
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2022/07/14(木) 05:38:41.07ID:u0UmHISs
>>956
すみません、また寝てしまいました

たしかに雨は激しかったですが、私の住んでいるところはそこまで酷くはありませんでした

「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」はそんなふうにも解釈できるんですね
ローマに対する税と神殿に対する税を対置して皮肉っているということですね
とてもおもしろいです

元々ユダヤの神は擬人化して語られてきたものだと思います
それゆえ、実際には「父」という性別をもった具体的存在としてイメージされ
それはイエスたちにも引き継がれていたように思います
ただここでイエスが本当に天的な存在が性別を持たない存在と考えていたとしたら
イエスは相当神学的抽象思考に長けていたのだと思います

さて13章は終末予言の箇所ですが、先生はこの描写は実際のユダヤ戦争後あるいは
ユダヤ戦争中に描かれたものだとお考えですか?
14節などはローマ兵による神殿の攻略・略奪を表しているように読めます

マルコもパウロなどと同様、エルサレム陥落やキリスト教徒迫害などの事実から
差し迫った終末を予感していたように思われます

また終末に際してのイエスの再臨も語られています
26節の漫画チックなイメージ(雲に乗ってやってくるキリスト)はどこから来たものなのでしょうか?
こういうイメージはクリスチャンが初めて創出したイメージなんでしょうか?
0965atheist
垢版 |
2022/07/14(木) 05:41:21.01ID:u0UmHISs
>>959
ありがとう

>>963
すみません、ご心配をおかけしました
昨日はもうほとんど雨は降っていませんでした
おそらく豪雨はもうちょっと山よりのほうなんだと思います
埼玉にも秩父という丘陵地帯があって、風光明媚な観光地として
けっこう有名です
0966 [Φ|(|´|Д|`|)|Φ] BBxed!! 臨時で名無しです🐙
垢版 |
2022/07/14(木) 14:07:17.38ID:nVbWmH3O
TVの安倍元総理の暗殺の話の流れでソウカに言及したら書き込み規制に突然なった。その前の話題について書き込みは問題なく出来ていたのに。
0967臨時で名無しです
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2022/07/14(木) 16:15:23.64ID:wuy7TwIx
タブー案件だから。
繋がってるのか、運営がそうなのか。
0968福音伝道
垢版 |
2022/07/14(木) 19:58:57.93ID:tA9q3wEi
>>964
atheistくん、こんばんは 本日の聖句はマルコ14章です
ご無事でなにより。

マルコの成立は神殿崩壊前の60年代後半とされています。戦争中の緊迫感のある状況下ですね
しかし13章は明かに神殿崩壊を予言していますね
ただ全体としては終末のことですのでユダヤに限定されるものではないですね

14節もダニエル書やマカバイ書からのイメージからで
具体的にはBC2Cのアンティオコス四世のヘレニズム化政策で
ユダヤ教禁止、神殿にゼウス像安置という事態があって、
「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つ」はゼウス像のことです
が、後代のキリスト教神学では「終末のサタン」「贋キリスト」のことだと
解釈しています。ほぼこじつけですね

26節はダニエル書のパクリというか、ほぼ引用ですね
7:13わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、
見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、
日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
0969atheist
垢版 |
2022/07/15(金) 01:01:21.21ID:ggc9E2pt
>>968
ありがとうございます

一応推定では60年代後半なので、神殿崩壊以前ということになりますが
ユダヤ戦争中ではあったので、それが終末思想に結びついて先鋭化した描写に
なっていったのかもしれませんね

14節はダニエル書やマカバイ記に由来するイメージで
26節の雲に乗るイエスというのもダニエル書のイメージをそのまま持ってきた、ってことですね
ダニエル書が新約の終末思想に大きな影響を与えていることがわかりますね

さて14章は、イエスの塗油、最後の晩餐、ゲッセマネの嘆き、ユダの裏切り、イエスの捕縛、
ペテロの裏切り、と有名なエピソードが目白押しの箇所ですね

これまでのヨハネやマタイの福音書でも同じエピソードが語られてきましたが
マルコはこれまで同様、エピソードについては比較的簡潔に記しています

この一連の流れの中で気になるのは、やはりイエスの人間的な苦悩を記した33節から36節あたりの
ゲッセマネの嘆きの箇所です

おそらくこういった人間的な弱さを示すエピソードは、メシアの記述にはふさわしくないはずだったで
しょうから、史実としての真実味があると思います

神学的な解釈は一旦置いておくとして、仮にこの苦悩、嘆きが事実であったとしたら
わたしはやはりイエスはほぼ意図的に受難を引き受けたのだと思います

51節の「ある若者」に関しては、伝統的にはマルコ自身だと解釈されていたと記憶していますが
先生はこの若者は誰だと考えていたんでしたっけ?たしかヨハネ福音書を読んでいたときに
エルサレムや弟子たちに詳しいことから、特定の人物を推定していたと思うのですが、
失念してしまいました
0971福音伝道
垢版 |
2022/07/15(金) 07:33:44.13ID:2we9Tf11
>>969
atheistくん、おはようございます。本日の聖句はマルコ15章です

51節の「ある若者」を著者マルコとする説は6Cに始まる解釈で、
19C20Cに盛んだった説ですね。
現代説の推定の根拠は、「最後の晩餐の場所」がマルコの母親マリアの家だったと
推測するところにあるます。この想像が正しければ、そこからマルコがイエースースに
従ったとしてもおかしくはないのですが、楽しい想像の域を出ません。
つまり客観的な証拠はありません。
0973atheist
垢版 |
2022/07/16(土) 00:16:28.90ID:gXKLmB5M
>>971
ということは未だにある程度確証のもてる人物推定はない、ってことですね

さて15章はピラトによる尋問、イエスの磔刑、そして死という福音書のハイライトですね

まずピラトの尋問時にイエスは5節のようにほとんど沈黙を守っていますが
これはどういう理由からだと先生は思われますか?
イエスは十字架にかかることを自らの運命として受け入れていたので
弁明すべきことがなかった、あるいは運命を自覚していないと解釈した場合は
何を語っても状況が好転することはないと判断し黙秘を貫いた、といったところでしょうか

これは以前もマタイのときだったかに聞いたことだと思いますが
イエスの両脇に十字架に付けられた罪人ふたりに関して
マルコではふたりは群衆と一緒になってイエスを罵ったことになっています
ルカの描写とは対照的ですが、おそらくマルコの描写のほうが史実に近いのではないかと
わたしは考えています
このふたりについては先生はどのように考えてますか?

それから41節でさらりと語られていますが、イエスに付き従った人たちの中には
女性も多かったことが記されています
古代社会において女性が宗教的信条に従って指導者とともに場所を移動することは
非常に稀有なことであったように思います
0974福音伝道
垢版 |
2022/07/16(土) 07:29:13.52ID:AiZxrzmn
>>973
atheistくん、おはようございます。本日と明日の聖句は使徒14:8-28です

イエースースが沈黙しているのは、
1.自分は正しい事をしているという自身
2.神の介入があって、自分は救われ、正しい裁きがなされる
と信じていたからだとおもいます。
勿論、不安はありつつも、神を信頼してより頼みすべてを委ねられているからではと。

29節から32節の悪口は、受難物語を肉づけるために当時の語り手によって話された
内容でマルコはこの場面でそれを採用したそうです。
28節が[]内なのは、12C写本の挿入だからです。
章節が付加された16Cは、12C写本全盛期でビザンティン系写本が本文採用されていたのです

杭に打ち付けられて処刑を待つ状態の者が、他人を罵る余裕はないだろうと思います。
なにせ腕か手首を釘打ちされている状態です

ガリラヤから従って来た女性たちと逃げた使徒たちというのが
マルこの提示する『事実』です。
使徒たちは三度イェースースを否んだ。女性たちは従った。

偉そうに使徒と自称するが、あなたたちは逃げましたね
付き従ったのは女性たちですよ、と。15:47,16:1にも繰り返されます

宗教の主人公はいつの時代、地域でも女性です
釈尊は女性の出家を拒絶しましたが、弟子のアナンダの進言があり
受け入れたことになっていますし、娼婦から接待も受けています。
女性が信仰を支え担う主体なのです。
0977臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/16(土) 20:14:46.06ID:AiZxrzmn
ルカ9:60
εἶπεν δὲ αὐτῷ. ἄφες τοὺς νεκροὺς θάψαι τοὺς ἑαυτῶν νεκρούς,
σὺ δὲ ἀπελθὼν διάγγελλε τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ.

εἶπεν δὲ αὐτῷ. 三単二過+接+男単与格 彼は言った+で+彼に
ἄφες τοὺς νεκροὺς 二単二過+冠・男複対格 あなたはさせなさい+死人らに
θάψαι τοὺς ἑαυτῶν νεκρούς, 過不定+冠・男複属格・男複対格 葬る事は+それら自身の+死人らを
σὺ δὲ ἀπελθὼν διάγγελλε 二単主格+接+二過分男単主格+二単現命 あなたは+で+立ち去って+広く報せよ
τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ. 冠・女単対格+冠・男単属格 王国を+神の

スロージューサー訳
で、彼は彼に言った。「それら自身の死人たちを葬る事は死人らにさせよ。
で、あなたは立ち去って神の王国を広く報せなさい」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-60.htm
0978臨時で名無しです
垢版 |
2022/07/16(土) 20:26:18.27ID:AiZxrzmn
ルカ6:61
Εἶπεν δὲ καὶ ἕτερος. ἀκολουθήσω σοι, κύριε.
πρῶτον δὲ ἐπίτρεψόν μοι ἀποτάξασθαι τοῖς εἰς τὸν οἶκόν μου.

Εἶπεν δὲ καὶ ἕτερος. 三単二過+接+接+男単主格 彼は言った+で+〜も+他方が
ἀκολουθήσω σοι, κύριε.一単未+二単与格+男単呼格 私は従うでしょう+あなたに+主よ
πρῶτον δὲ ἐπίτρεψόν μοι 副+接+二単過命+一単与格 第一に+で+あなたは許して下さい+私に
ἀποτάξασθαι τοῖς 過不定中動+男複与格 別れを告げる事+彼らに
εἰς τὸν οἶκόν μου. 前+冠・男単対格+一単属格 〜の中に+家+私の

スロージューサー訳
で、他の者も言った。「私はあなたに従います、主よ。
で、まず私の家の者たちに別れを告げることを私に許して下さい」

参考に
https://biblehub.com/text/luke/9-61.htm
0979atheist
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2022/07/17(日) 01:58:02.51ID:ODNBhf08
>>974
沈黙の理由は神を信頼しているため、すべてを委ねているからだ、というお考えですね
たしかに受難をも辞さないくらいの信仰心ですから、弁明をする必要など感じなかったのかも
しれませんね

十字架上のイエスに対する罵倒、嘲笑は、受難物語の口承者たちが受難の劇的描写のために
肉付けしたものである、ということなんですね
イエスとともに磔刑された罪人も、他人を罵るような余裕はなかっただろう、と

41節で触れられている女性たちは最後までイエスに付き従ったのに対し
弟子たちはすべて逃げました
マルコはそれを書き留めたかったのですね

さて休日分の使徒14:8-28はバルナバとパウロの伝道の様子を書いた箇所ですね

バルナバとパウロがギリシャの神々に比されていることについては以前もお聞きしました
ふたりはこれに激怒し、神はすべてを想像した神ひとりだけで、自分たちはみんなと同じ
人間にすぎないと説きます
ここは神々が人間の延長であるギリシャ的宗教観と神と人間の間に創造主と被造物という明確な
線引があるヘブライ的宗教観の違いがよく表された箇所だと思います

17節はいわゆる一般啓示で、パウロの手紙でもこのような考えが示されていました
わたしは日本人ですから雨や実りといった自然の恵みはまさに自然そのものの恵みと捉えるので
そのような恵みから帰納して唯一神へと至るような発想はありません
ですからパウロが言うようにこういった自然の恵みや人間の良心が神の証という論理は
まったく説得力があるとは思いませんが、自然を神の被造物と考えるユダヤ人の世界観では
このような恵みはまさに自然に表された神の証と映るのでしょうね
証明としては同語反復、トートロジーでしかありませんが、ユダヤキリスト教の世界観の根幹が
このようなものですから、彼らにとっては日が東から昇るのと同じくらい自然なことだったのでしょうね
0982福音伝道
垢版 |
2022/07/18(月) 06:03:23.66ID:TGbam07A
ここもアクキンとなり、JANEスタイルでの投稿しかできなくなりましたので
ギリシア語が文字化けします

とりあえずしばらく、ギリシア語翻訳を休止します
0984atheist
垢版 |
2022/07/19(火) 00:15:36.64ID:bREIpjx6
>>981
マルコもいよいよ最終章ですね

最終章は原本の8節までと後代付加の9節以降に分かれますが
マルコが本当に8節で終わりにしようとしたのかは分かりません
ですが、ひとまずはマルコ自身の8節までと後代付加の9節以降を
対比して考えてみたいと思います

8節まではイエスの復活について若者(天使)の口を借りて言及されていますが
復活したイエスの描写はありません
もしここまでがマルコが書き留めた内容だとすると、遺体消失については
事実として書き留め、復活についてはあくまでも間接的な形で語っているに過ぎません

それに対し9節以降はマグダラのマリヤや弟子たちに復活したイエスが直接現れたという
記述になっています

この相違は、事実は遺体の消失のみで、復活はその後の神話的創作であることを暗示しているように
思えます

復活が事実であろうが創作であろうが、キリスト教はイエスの復活を中核とする信仰ですから
福音書を信仰の観点から読むとすれば、9節以降はエピローグではなく
まさにクライマックスになるはずです
福音(良き知らせ)は、死に勝利したイエスの復活をもって完結させなければならなかったはずです
そういうわけでこの付加は、教会にとっては付け足しや補足などではなく
欠くべからざる福音物語の結末だったのでしょう
0985atheist
垢版 |
2022/07/19(火) 00:17:28.97ID:mp2eloKM
>>982
またアク禁ですか
ここ半年ほど、異常にアク禁が増えてますね
ブラウザの問題もあるでしょうが、アク禁の基準が厳しくなったのかもしれません
0986福音伝道
垢版 |
2022/07/19(火) 06:51:22.68ID:6xU5At9C
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は伝道の書1,2章です。

マルコは8節で終わりです。
9節以下は教会による付加です。
マルコによると
1.最後までイエースースに付き従ったのは女性たちです
2,使徒たちは、イエースースを三度否んだり、逃げたりしたのです
3.それが歴史的事実です
4.その上でエルサレムで直弟子だ使徒だと威張り腐っているが
5.イエースースはエルサレムの弟子等に遭われず、ガリリヤに行かれた
つまりエルサレム教会にはイエースースはおられません
というのがmessageです
0987福音伝道
垢版 |
2022/07/19(火) 06:52:55.45ID:6xU5At9C
>>985
ギリシア語訳を三連チャンで投稿しました時の三度目にアクキンとなりました
ギリシア語や連投があかんみたいです
0988atheist
垢版 |
2022/07/20(水) 01:43:05.38ID:JOYZdPvf
>>986
先生が読み取ったマルコのメッセージは、イエス死後エルサレムで権威を持った弟子たちが
イエスの「正統な」後継ではなく、最後までイエスに付き従った女性たちこそ
イエスの教えに最も忠実であった、というようなことでしょうか

さて今日からは伝道の書(コヘレト)ですね
箴言のときにも書きましたように、わたしは聖書を最初読んだ時、最も感銘を受けた書のひとつが
このコヘレトでした

おそらく感銘を受けた最も大きな理由は、一見仏教かと思えるような諸行無常の響きです
もちろんこの世の無常を語りはしますが、そこは聖書、最終的には神への信頼、無常ではない
常なる神へと収斂していく価値観が根底にはあるので、仏教とは大きく異なりますが
他の書とは趣きが大きく異なるこの書に魅了されたのは、この世の無常を正面から取り上げたことに
その理由があるように思います

第1章の冒頭からいきなり「空の空、空の空、いっさいは空である。」と出てきます
また繰り返し、「これもまた空であって、風を捕えるようである。」と語られます

もちろんここで言われる「空」は仏教的な空(実体なき関係性)といった抽象的・哲学的な意味ではなく
風を捕らえるように虚しいものであり、捉えどころがなく、確固たる価値もなく、
確実性もない、といったような意味だと思います

労苦も知恵も快楽も財産も、捕まえたと思ったら、さらりと手の間をすり抜ける風のようであり
虚しいものだと伝道者は語ります

ということで、繰り返し語られるこの「空」は原語ではどのようなことばなのでしょうか?
0989atheist
垢版 |
2022/07/20(水) 01:45:31.09ID:JOYZdPvf
>>987
どういうことですかね
シフトJIS以外の文字コードで書いたものを連投するのが駄目なんでしょうかね
よく分かりませんね
0990福音伝道
垢版 |
2022/07/20(水) 06:25:11.86ID:PTsSKDgB
>>988
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は伝道の書3-4章です

「空」のヘブライ語はへヴェルです。
「息」「蒸気」という意味が第一義で、
そこから「空
0991福音伝道
垢版 |
2022/07/20(水) 06:28:36.64ID:PTsSKDgB
」や「無」という意味が敷衍されて来ます。

「へヴェル」?????
ヘブライ語聖書全体で73回 伝道の書では38回でてきます
0992atheist
垢版 |
2022/07/21(木) 01:41:16.39ID:8l1bmMhM
>>990-991
口語訳で「空」と訳されている言葉は息や蒸気という意味で
まあ、捉えようとしても捉えられない、実体がない、儚い、くらいのイメージを喚起する
ことばですね

さて3章ですが、冒頭8節までは印象的な繰り返しですね
すべての行いにはその時があり、永遠に続くようなものではない
かように諸行無常であれば、生きている間は楽しく愉快に過ごすしかない(12節)

18節以下もユニークです
通常キリスト教では人は獣に勝る存在として語られますが
コヘレトでは、みなちりから出てちりへと帰るのだから、獣となんら変わらないと語ります

4章も聖書の中ではユニークな語り口で、2-3節などはまるで反出生主義のことばのようです
よく分からないのが5節で、これはどういう意味でしょうか?

8節以降はひとりよりふたりのほうが共に協力しあえるので良い、という感じで
箴言の教訓に近いような言い回しになってます

全般的にやはり諸行無常感が漂いますが、3章の11節(神のなされることは皆その時にかなって美しい)や
13節(労苦によって楽しみを得ることは神の賜物)のように神への信頼があって
必ずしも厭世的なトーンで一貫しているわけではありませんね
0993福音伝道
垢版 |
2022/07/21(木) 06:02:31.42ID:8fjramTL
>>992
atheistくん、おはようございます。本日の聖句は伝道の書5-6章です

4:5は、当時のことわざらしいです。
愚者は手をこまねいて働かず、自分の持っている財産を食いつぶして早死にすることを
「自分の肉を食う」と衝撃的な比喩表現を用いているようです

コヘレトは、神を信頼しつつも、現実には「神の裁きが時を守ってない」ということを嘆いているのでは
ないでしょうか、とはいえ、神は人とは遠く隔たっているので、人は自分の分を生きるしかない、と。
0994atheist
垢版 |
2022/07/22(金) 01:51:52.59ID:76BzJ+F+
>>993
4章5節はそういう意味だったんですか
働かないから自分の肉(財産)を食い潰して死んでしまう、ってことですね

ここまで読んだ段階での話ですが、コヘレトの作者は、かなり徹底して世の無常を直視しては
いますが、最終的にすべては神が定めたこと、人間は神が与えてくれた賜物に満足して
それを良しとして生きるしかないのだから、神を恐れ、神を信頼せよ、と言っているようにわたしは感じました
仏教は全権の神という前提を置かないのに対し、コヘレトは如何にこの世が無常であろうと
寄るべき指針としての絶対的な神があると考えている点が、仏教との違いなのかなと思いました

さて5章はなんだかよく意味がわからないところが多いです
少なくとも前半は箴言に似た言い回しになっているように感じました
あまりにもわからないところが多すぎて収集がつかなくなりそうなので
特にわかりにくいところを取り上げますが、まずは箴言っぽい言い回しの3節です
前半と後半のつながりもよく分かりませんが、「夢は仕事の多いことによってきたり」とは
どういうことでしょうか?仕事が多ければ将来的な仕事の展開や生活の豊かさといった夢も多い
というようなことでしょうか?

あと気になったのが6節の「どうして、神があなたの言葉を怒り、あなたの手のわざを滅ぼしてよかろうか。」
という部分です
神に対してこんな上から目線の発言をすることがあるものなのでしょうか?

8-9節も何言ってるのかよく分かりません

後半はこれまでのコヘレトの口調に戻っているような気がします
続く6章も5章後半の流れに乗ってコヘレト口調が続きますが
3節以降はもうバリバリに反出生主義的な言い回しですねw
0995福音伝道
垢版 |
2022/07/22(金) 07:21:33.09ID:URBhTQZ3
>>994
atheistくんおはようございます。本日の聖句は伝道の書7-8章です

口語訳の理解ですと
「夢は仕事の多いことによってきたり」は、仰せの通りで
実際に働いてみないと具体的な夢は出てこない。人は体験から
モノを考えるということですね

ただ諸訳は
「夢が多ければ、ますます空しくなり/言葉も多くなる。/神を畏れよ。」と訳しますので
逆ですね。夢はマイナス評価されています。

6節の論旨は、神に誓願を立てたら、絶対果たしなさい。
果たせなければ滅ばされます。
滅ぼされたくないでしょ。できない誓願を立てるべきではないのです。
誓願を甘く考えてはいけません。ということです。

8-9節は意味不明な句なので、諸解釈に基づく訳があります。
上役が腐敗している現状があって、でも上役に上役がいて
またその上にも上役がいるので、小役人が不正を働いていても
上役が是正するであろう。なぜなら最高の上役である王でさえ
結局は、畑の収穫の奴隷だからであるという意味であるという説が有力です。
が、確定はしてません。
0996atheist
垢版 |
2022/07/22(金) 22:51:58.28ID:76BzJ+F+
>>995
5章3節は口語訳とその他の訳ではまったく異なりますね
諸訳のほうが今までのコヘレトの流れに沿っていて分かりやすいです

6節は神に対する上から目線の物言いというよりも、できない誓願を立てて
神に滅ぼされるのがいいはずはないのだから、安易な誓願は立ててはいけない、という忠告を
修辞疑問的に表現してるわけですね

8-9節は意味不明句なんですね
一応上役の上役と登っていけば、最後には王になり、その王も畑の収穫の奴隷なので(収穫がなければ
王そのものが立ち行かないので)結局は是正されるだろうから、怪しむことはない、みたいな解釈が
有力ってことですかね

さて7、8章ですが、ここもまたちょっと箴言っぽい言い回しが見え隠れしてますね

今回の箇所は8章の16節が著者の結論的な部分で、これは1章だか2章だかでも著者が書いてましたね
たとえば7章12節などでは箴言同様、知恵を称揚してますが、23節では知恵に限界を見出しています

15節や8章14節に見られるように、著者は世の不条理を語り、厭世感を漂わせますが
そのうえでの結論が8章15節となってくるのだと思いました
知恵には著者も語るように良い面がありますが、人の身の知恵には限界があり
さすれば先々も分からず死のみが確実な人の子は、「神が賜った命の日」を
仕事に勤しんで、その成果を楽しむことのほかに良いことはない、という結論になるのだと思います

今回ちょっと気になったのは7章28節の「わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、
そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった。」という部分です
ここは千人の女性によってひとりの男子を得たけれども、他は子どもを産むことなく
ひとりの女子も得なかった、ということでしょうか?
0997福音伝道
垢版 |
2022/07/23(土) 06:05:39.26ID:Drdmjc9c
>>996
atheistくん、おはようございます。今日と明日の聖句は使徒15:1-35です

7:27は、7:23の「知恵をもってこのすべての事を試みた」ことの結論部分です。
千人を試みたところ、義人である男は一人いた。
しかしただしい女は1人としていなかった。
なので神に喜ばれるものは、女から逃れるものだ
愚か者は女に捕えられている ということですね。

かなりの徹底したオンナ嫌いですね。
確かに機根種は女性に捕えられているのかもですが
0999atheist
垢版 |
2022/07/24(日) 02:20:03.01ID:v+irscMA
>>997
なるほど、23節以降の流れで知恵のある者、あるいは義人を求めたが
千人のうち男はひとりだけ、女はひとりもいなかった、ということなんですね
「男子」「女子」と書いてあったので、子どものことかと思ってました
それにしてもその男子ひとりがいったい誰だったのか気になりますねw

さて休日分は初期キリスト教会が割礼派と非割礼派で紛糾し、多少の妥協はあったものの
基本的に非割礼派の言い分が通って、現在のキリスト教につながる宗教規定の素地が固まった
箇所ですね

バルナバとパウロの報告のあと激しい論争があり、ペテロとヤコブの発言で場が収集した、という
記述になってます

ペテロはまあ分かるとして、ヤコブというのは、あの義人ヤコブですよね?
義人ヤコブはユダヤ教伝統派という感じだと思ったのですが、ここでは
バルナバ、パウロ、ペテロの線に沿った発言をしています
ただ古くからのユダヤ教伝統派に配慮して多少の食物規定等は守るように言っています

ヤコブのこの立場は教会を統御する者としての立場なのか
実際ヤコブ自身も非割礼派の立場だったのか、どちらだったのでしょうか?
1000福音伝道
垢版 |
2022/07/24(日) 10:09:27.58ID:0VEKY5Of
次スレです。
https://nova.5ch.net/test/read.cgi/operatex/1657701274/l50

>>999
atheistくん、おはようございます。明日月曜日の聖句は伝道の書9-10章です

あの義人ヤコブです。
あの義人ヤコブが無割礼者をOKするばずはありませんので、ルカの作り話
あるいはパウロ派のルカは、パウロから伝え聞いたパウロの作り話を鵜呑みにしている
というところですね

まあパウロの場合、盛っている部分もあるでしょうが、彼独自のひとりよがりな解釈で
義人ヤコブが、パウロが連れて来た無割礼者と同席したことを以て
義人ヤコブが無割礼者を受け入れたと身勝手に理解したということなのてせすが
義人ヤコブは、その彼が無割礼者だとは知っていないので、承認したわけではありません

しかし田川建三の解釈では、ガラテア書でも使徒行伝でも大枠では
非ユダヤ人のキリスト者に割礼を強制しないということでエルサレム教会の譲歩を勝ち取った点で
一致しているのだから、史実であろうということです。

私は義人ヤコブは、外国人が外国で生きる限りにおいて、ユダヤ教徒ではないから割礼は強要しない
非ユダヤ人がシナゴークで礼拝してよいように、キリスト教徒になってもよいという
消極的容認であって、自分たちと同格の信者として認めたわけではないと思います
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。

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