慶應義塾が明治初めに経営危機になり、福沢諭吉先生が廃塾しようとした時に、多額の寄付をして慶應義塾の存続に貢献したのが、笠原文平という越後長岡藩の商人

早稲田大学も慶應義塾大学も創生期は新潟からの寄付金が大きい。