SKE48・松井珠理奈の卒業シングルが発売。「完璧」を目指し続けた11歳からのエース伝説を語る

SKE48の松井珠理奈の卒業シングル『恋落ちフラグ』が発売された。小学生時代から12年にわたり、グループを引っ張ってきた絶対的エースは、数々の伝説的なエピソードを残している。
当時始動したばかりのSKE48の年上メンバーたちに「AKB48ではこういうことをしていた。私たちに足りないところだからやろう」と呼び掛けていたと聞く。
「それはかなり言いました。AKB48で歌っていても常にSKE48のことを考えてましたし、自分が経験したことをSKEのみんなに伝えたい気持ちがあって。私はSKEとAKBを自分の中で比較できたので、SKEが勝てるところはどこかも考えていたんです。それで『ダンスの激しさや元気さを伸ばしたら差別化できるね』と」

自分は二の次でグループのために頑張ることが活力に、実際、SKE48のエネルギッシュなパフォーマンスは「ステージから風が吹いてくるよう」とも言われ、ほどなく評判が広がる。
「SKE48はAKB48の姉妹グループとか名古屋版と言われることが多かった中で、単体で見てほしい想いが強かったから、『AKBにない魅力を出さないとダメだよね』という話はよくしていました」
 何気なく言うが、当時の松井は芸能界に入ったばかりの小学生。しかも、いきなりの抜擢で名古屋と東京を行き来し、公演の練習がままならず、「当日に『できない!』って自分を責めて、お腹が痛くなって大泣きした覚えがあります」と話していたこともある。そんな中で自分のことでいっぱいいっぱいになったりも、自分だけでいいとこ取りをしようともせず、グループ全体のことを考えていたとは。
「むしろ自分のことは二の次でした。だからこそ、12年間やってこられたのかもしれません。自分のことだけを考えていたら、辛くなったときにすぐ辞めていたと思います。みんながいたから『まだ諦め切れない』という気持ちにもなったし、私は誰かのために頑張ることが活力になるタイプ。そういう性格で良かったです」

「できません」とは言えなくて無理もしました
 松井珠理奈は昨年11月からYouTubeチャンネル『珠理奈HOUSE』を開設した。SKE48の12周年記念公演の舞台裏密着企画では「歌やダンスを間違えたことは少ない」と発言していたが、彼女の当初からの完璧主義もよく知られている。
「間違えたら恥ずかしいと思っていたし、常に全力を出して、観ている方に少しでも好きになってもらいたい気持ちも強かったので。あと、SKE48に入る前も学級委員をやっていたり、陸上大会に出たりする体育会系だったんです。センターだから完璧でなくてはいけないと、プレッシャーや責任感は子どもながらにありました」
 それだけに、妥協をせず体を痛めがちという話も、関係者から聞こえてきた。
「『できるよね?』と聞かれたら『できません』とは言えなくて、本当はできなくても『大丈夫です』みたいな。そこで無理もしましたし、ライブが終わって倒れてしまって、気づいたら運ばれていたこともあります。そこまでやったのは、同期のメンバーが心強かったからかもしれません。もし自分が倒れても、誰かが代わりに出てくれる。それもあって『やれるところまでやっちゃえ!』となっていたんだと思います」
 2018年には地元・ナゴヤドームで開催された選抜総選挙で初めて1位を獲りながら、体調不良で休業。同年に公開されたSKE48のドキュメンタリー映画『アイドル』では、泣きながら「今までの10年間はほとんど自分のことを考えてないから頑張れたけど、今年は自分が上に立つことでSKEが良くなると初めて思えたから……」と重圧を語るなど、苦しげな姿が目についた。
「ありがたいことにずっとセンターを任せていただいていた中で、『弱音は吐けない。強くなければいけない』と思い続けてきました。けど私もオフになると、赤ちゃんみたいな人なんです。実際の自分とSKE48のアイドルの松井珠理奈は違う。裏表があるわけでなく、スイッチを入れるのがしんどいときはありました」