これに尽きるな

そうして松井珠理奈である。
彼女が最後の同期生である大矢真那の卒業により壊れ始めたという切り口は納得でき、
段々と壊れていく彼女の様子に他のメンバーも気付いていて、
不安や予感のようなものを抱えていたという証言は、正に私がこの映画に求めていたものでもあり、
この時点までは本当にこの映画を楽しんでいた。

しかし総選挙当日の描写に、私の期待はあっさりと裏切られた。
当日、松井珠理奈が壊れていた事を示すシーンは彼女が舞台上で倒れるシーンのみ、
一方でメンバーが語る「松井珠理奈はリハーサルから手を抜く事を嫌う」というインタビューの声に被せて、
カメラは前日にまだ振りが入りきっていない宮脇咲良の姿を映す。
松井珠理奈のあの会見の背景にこれがあったのかとミスリードをさせたい監督の編集意図は見え見えだった。

だけど、観客は皆あの日何があったのかを散々観ている訳である。
松井珠理奈に恫喝される宮脇咲良の姿も、
それまで当日のコンサート本番の中で宮脇咲良が特にミスらしいミスを犯していない事も、
そして何より松井珠理奈自身が当日のステージでいくつもやらかしていた事も、
コンサートの現場や生中継のテレビ放送や、ネットの映像で既に散々目にしているのだ。
けれどもそれらのシーンはスクリーンにまったく登場しない。

ドキュメンタリーは、どのシーンとどのシーンを拾い、どう繋ぐかで、監督の語りたいメッセージを観客に伝えてくれる。
しかし、それと同時にどのシーンを削ったかで、監督の隠したい真実や監督が観客に語る嘘の量も教えてくれるのだ。

この映画は都合の悪い真実は語らない。
それを悟ってしまった時点で、映画の後半にメンバーたちが松井珠理奈の穴を埋めるべく奮闘する姿や、
松井珠理奈の存在の大きさを語る言葉は、すべてが嘘っぽく色褪せたものになってしまった。