どう


「乃木坂46・5期生、現在のセンター適正と適性」
五百城茉央
センター”てきせい” 7点
5期生のなかではもっとも「文章」が上手い。書くことで、自己の内にあるエネルギーを引き出すような、日常の機微を見逃さない、淡々とした文章がむしろアイドルの日常へと誘う、魅力に溢れた言葉を編んでいる。しかしステージの上に立つと一転してアイドルの笑顔に硬直が現れる。コメンテーターズ・カース、と言ったか、期待を裏切られる。この埋めがたい距離がなにかのきっかけで埋まれば、同時に、表題曲のセンターポジションもまた手繰り寄せられるのではないか。可能性の実現とは、できなかったことができるようになった、だけではない。できないと思っていたことが、また他者の多くからもできないだろうと思われていたことができるようになる、という意味でもある。この人にはそうした憧憬に応えるだけの”なにか”があるようにおもう。

池田瑛紗
センター”てきせい” 2点
表題曲のセンターに立つ姿は想像できない。アイドルとアイドルを演じる人間のリメスを破ることができない。アイドル本人のビジョンの中でアイドル自身が混乱しているように見える。

一ノ瀬美空
センター”てきせい” 5点
井上和が作品に対する念入りな彫琢を披露する一方で、一ノ瀬美空には「アイドル」の笑顔の彫琢がある。日常生活のなかで馴らされた笑顔が、「アイドル」の内に落とし込まれている。肝心なことは、この”落とし込まれている”と確信させる笑顔を編んでいる点。「私」と「アイドル」をつなぐものが「笑顔」であることで帰結してしまう暗さが『僕は僕を好きになる』の世界観と有機的に結びついているように見える。『好きというのはロックだぜ!』が『僕は僕を好きになる』を語り口にすることでセンターで踊る賀喜遥香の魅力を引き出したのであれば、そうしたフィクションと現実の交錯を、一ノ瀬美空に引用することも容易に感じる。

井上和 
センター”てきせい” 9点
「他人のそら似」をテーマにして集められた5期生のなかにあって、誰々の横顔は誰々を想起させる、といった話題を下敷きにするのではなく、この人は最早「乃木坂46」そのものを下敷きにした、正統的な登場人物に見える。清楚、純潔、驕りの高さによって打ち出される閉塞感を偶然の助けではなく「希望」によって打ち破るという、乃木坂46の物語、その直系を引いている。自身がセンターを務める作品に対する熱誠、とくに踊りに向ける念入りな彫琢は、ステージ毎に「アイドル」の表情を変え、『絶望の一秒前』を初めてファンに提示してから今日に至るまで、解釈の能力、表現力においてその成長を止めない。5期生のなかで最も成長しているアイドル、と云えるだろうか。これだけの逸材に、果たして今後出会えるのだろうか、感慨に浸らせる。

岡本姫奈
センター”てきせい” 3点
デビュー当時の騒動・動揺の残響のなかに沈み込まずに、アイドルの暮らしに歓喜しているようだし、そうした喜びをファンにも与えようと、行動しているように見える。ただし、アイドルになる以前に培ってきたもの、この人の場合は「バレエ」になるはずだが、そうした個性を「アイドル」に奪胎していく過程で、むしろ個性が抜け落ちてしまっているように感じる。バレエというイメージを、使い回す必要があるのだろうか。ダンスにおいても足を引っ張っているようにしか見えない。

小川彩
センター”てきせい” 4点
いまのところは、表題曲のセンターに立つ姿は想像できない。ミュージックビデオにおける表現、演技には、アイドルらしからぬ豪宕さがあり、乃木坂のレジームに即している。