奥田いろは
センター”てきせい” 1点
センターへの可能性を見出すことは困難。後日、自分の居場所、とか、アンダーの素晴らしさ、とか、語り始めなければ良いが……。また気になるのは、歌唱表現をポップスから「アイドルポップス」へと狭く奪胎させてしまっている点で、デビュー直後に披露した魅力に溢れた歌声が、今では聴けなくなってしまった。

川ア桜
センター”てきせい” 測定不能
5期生楽曲『17分間』において、センターに立った。しかしどうだろう、あまり壺にハマっていないように感じる。白い息を吐く、スケートリンクの上に佇むその少女の透徹した横顔をはじめて目にした際の興奮、見出した可能性のすべてが音を立てて崩壊してしまったような、虚しさがある。アイドルの存在感が強すぎて、楽曲がそなえる世界観との調和が取れないのか、ただ単にアイドルの表現力に問題があるのか、わからないが。川ア桜がセンターで踊っていることに対しての「違和」が気になって、作品と正面から向き合うことができない。裏を返せば、それだけの”なにか”、考えなければ見つからない魅力、がこの人にはあるのだろうから、グループアイドルとして眺めれば、なんとも語り難い登場人物に思える。
 
菅原咲月
センター”てきせい” 6点
「現実」に幻想的イメージを持ち込み「アイドル」を作ろうとする多くの少女とは異なり、アイドルの内に現実を持ち込んでいるように見える。だから、生き生きとしていて、意気軒昂に見える。ファンの想像、妄想に現実を突き付け笑うような、気まぐれさも予感する。要するに、やはり橋本奈々未に似ている、ということなのだが、であれば、センターは一度きり、がベストなのかもしれない。

冨里奈央
センター”てきせい” 3点
頭上で大きく揺らめくダモクレスの剣を自ら掴み止めるような、過剰なポレミック性がアイドルのキャラクターとして受容されているところなどは、逸材、と呼ぶしかないのだが、コンディションの作り方、保ちように脇の甘いところがあり、アマチュアから抜け出ない。

中西アルノ
センター”てきせい” 10点
神秘性、異質さ、を未だ保っている。退屈なアイドル観に馴らされていない。乃木坂46にほとんど興味を示さない、またそうした姿勢を意識的に振る舞う他のアイドルグループのファンでも、この人の名前、横顔は知っている。ヒステリックさを狂気で押さえつけるような邪推にまぶされたその横顔、その存在感を前にしてやはり多くの人間が狂気を宿し、結果、乃木坂46の人気・知名度の底上げに貢献しただけでなく、中西アルノ=「個」を眺めることで、多くのファンが乃木坂46=「群」をあらためて意識することになった。乃木坂らしさ、を考えることになった。菖蒲色のエンブレムの有り様を、ヘラルドリーへと押し上げた。そのような意味ではすでに彼女は、カリスマ、であり、センター=主人公にほかならない。


2022/12/02 楠木かなえ
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