りおつん「ASHの歌割りのテストでは何度も落ち続けた。だから個別で有料のボイスレッスンを受けた。そこで先生に声のコンプレックスのことなどを相談した。先生に相談するという経験自体が初めてのことだった。

先生が「岡村の声は生まれもった自分だけのもの。高音は練習しただけ出るようになるけど、低音を出すのには限界がある。だからそれは特別な才能。私は岡村の声が好きだから、ずっと聴いていたいよ」と言ってくれて、私のコンプレックスは無くなった。

私はここにいてもいいんだと思った。自分の声は武器なんだ、と少しずつ自信を持てるようになった。そこからASHが、歌うことがもっと好きになった。その先生はもうASHにはいないけど、先生がいたから今の私がいる。

そこからスクール内のオーディションを積極的に受けるようになり、ソロパートを任せてもらうことも増えていった。そんな時にNWPオーディションの存在を知った。私にとって初めてのアイドルオーディションだった。

アイドルに憧れてSTU48に入ることができたけど、この声はアイドルに向いてると思っていなかった。研究生になって、この声が悪目立ちすることもあるという新たな壁にもぶつかった。

まとまっていないといけない、1人だけ変なことをしてはいけないのがアイドルグループなのに…やっぱりこの声はアイドルに向いてない…どうしたらいいんだろう…声を小さく出した方がいいのかな…と悩んだりもした。

ある時、両親に「歌い方が変わったね」と言われた。元々の自分の歌い方を忘れてしまっている自分に愕然とした。もっと歌えたはずの歌もうまく歌えなくなっていた。自分の本当の歌声とアイドルらしい歌声を使い分けようと思ってたのに、それすら満足にできない自分に落胆した。今の自分には何もなくなってる思った。昔の自分の映像を見返して、あの頃に戻りたいなと思う日もあった。

そんな時に歌唱力No.1決定戦を知って、今の自分ではみんなや自分を満足させる歌は歌えないかもしれないけど、出なきゃと思った。候補の曲を全て聴いていく中で、『いい日旅立ち』を聴いた時に、これだ!と思った。

私は歌詞の意味を『自分の歌のこと』に置き換えました。「周りの人達に私の歌声が届かなくなったとしても、日本のどこかに私の歌を待ってる人がいる」と信じて歌いました。自分の全てを出し切ったから、どんな結果になっても悔いはないと思った」