内容が国によってまったく違う
ゼレンスキー大統領の各国向けスピーチは、まさにその最も重要なルールを極めて実直に形にしています。驚くのは、内容が国によってまったく違うこと。同じ内容をちょっとアレンジしてというレベルではないのです。

それぞれの国の国民の「最も琴線に触れる言葉は何か、価値観や事象は何か」が徹底的に検証され、余すところなく盛り込まれています。
例えば、アメリカ向けでは、「自由」と「民主主義」「独立」などといった言葉を強調しました。アメリカ人が最も大切にする価値観だからです。「自由」という言葉にいたっては13分のスピーチで9回も繰り返しています。

そして、言及されたのが、真珠湾攻撃と9.11でした。

「思い出してください。あの空が真っ黒に染まった日を」
「無垢の人々が攻撃された日を」
と呼びかけました。これらの出来事が、アメリカ人にとって、突然、平和を侵された、まさに悲劇の日として深く記憶されているからにほかなりません。「真珠湾攻撃を口にするとは何事か」と気分を損ねた日本人もいたようですが、これは、アメリカ国民向けのスピーチです。例えば、ゼレンスキー大統領が日本向けのスピーチで、原爆の投下や空襲などに言及したとしても違和感はないでしょう。

そのほかにもマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「I have a dream」を引用するなど、ひたすらにアメリカ国民の心に届ける工夫がされていました。

シェークスピアとチャーチルを引用
イギリス向けのスピーチでは、シェークスピアの「To be, or not to be, that is the question(生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ)」というフレーズを引用し、

「答えはYes、生きるべきだ」
「私たちはあきらめない。私たちは負けない」
と高々と宣言しました。

そして、ダンケルクの撤退の後、チャーチルが残した有名な演説「我々は海岸で戦う、我々は水際で戦う、我々は平原と市街で戦う、我々は丘で戦う。我々は決して降伏しない」を模して、

「我々は最後まで戦う。海で、空で、地上で。どんな犠牲をはらっても。森で、野で、海岸で、道で」
とうたい上げました。

一方、ドイツ向けの演説で、彼が16回も繰り返したのは「Wall(壁)」という言葉でした。

「あなた方は再び、壁の後ろにいる。ベルリンの壁でない。ヨーロッパを真っ二つに割る壁だ。自由と奴隷の間の壁。私たちの祖国ウクライナに爆弾が落とされるごとに、その壁は大きくなっていくのだ」
つまり、あの東西冷戦が今再び、大きな壁として、目の前に現れようとしている事実をつきつけたのです。「ベルリン封鎖」やナチスによるキエフ占領などに触れながら、「繰り返してはならない」と訴え、「壁を壊そう」と呼びかけたのです。