たの一人、――耳に巻煙草まきたばこを挟はさんだ男も、こう良平を褒ほめてくれた。
 その内に線路の勾配は、だんだん楽になり始めた。「もう押さなくとも好よい」――良平は今にも云われるかと内心気がかりでならなかった。が、若い二人の土工は、前よりも腰を起したぎり、黙黙と車を押し続けていた。良平はとうとうこらえ切れずに、怯おず怯おずこんな事を尋ねて見た。
「何時いつまでも押していて好いい?」
「好いとも」
 二人は同時に返事をした。良平は「優しい人たちだ」と思った。
 五六町余り押し続けたら、線路はもう一度急勾配になった。其処には両側の蜜柑畑みかんばたけに、黄色い実がいくつも日を受けている。
「登り路みちの方が好い、何時いつまでも押させてくれるから」――良平はそんな事を考えながら、全身でトロッコを押すようにした。
 蜜柑畑の間を登りつめると、急に線路は下くだりになった。縞のシャツを着ている男は、良平に「やい、乗れ」と云った。良平は直すぐに飛び乗った。トロッコは三人が乗り移ると同時に、蜜柑畑の※(「均のつくり」、第3水準1-14-75)においを煽あおりながら、ひた辷すべりに線路を走り出した。「押すよりも乗る方がずっと好い」――良平は羽織に風を孕はらませながら、当り前の事を考えた。「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」――そうもまた考えたりした。
 竹藪たけやぶのある所へ来ると、トロッコは静かに走るのを止やめた。三人は又前のように、重いトロッコを押し始めた。竹藪は何時か雑木林になった。爪先つまさき上りの所所ところどころには、赤錆あかさびの線路も見えない程、落葉のたまっている場所もあった。その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖がけの向うに、広広と薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎた事が、急にはっきりと感じられた。
 三人は又トロッコへ乗った。車は海を右にしながら、雑木の枝の下を走って行った。しかし良平はさっきのように、面白い気もちにはなれなかった。「もう帰ってくれれば好いい」――彼はそうも念じて見た。が、行く所まで行きつかなければ、トロッコも彼等も帰れない事は、勿論もちろん彼にもわかり切っていた。