バブルやばいな


1970年、仙台市郊外の5万坪の山林を4,000万円で購入した[1]。その後、東北新幹線の着工決定も手伝い、その土地を含めた周辺が市街化区域に編入されたことで、地価は10倍に上昇した。このことがきっかけとなり、1972年には「アベインターナショナル」を設立し、次第に不動産業に傾倒するようになり、バブル期には歌手を休業し不動産業に専念した。

「歌う不動産王」「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有し、一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と揶揄されるほどで、千のものまねを持ちネタとしていたコロッケはよく「おら金もってんどー」というネタを使っていたが、1991年のバブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、2000年2月4日に「アベインターナショナル」は経営破綻した(東京地裁に特別清算を申請、負債総額は1,034億円)。1991年3月に「おやじ先生」をリリースし、歌手活動を再開した。

「アベインターナショナル」の債務を個人保証していたことから、最盛期には3,000億円を超える借金を抱えていた。殆どは旧日本長期信用銀行(長銀)からの借り入れで、長銀の経営破綻と一時国有化による公的資金投入で借金は1,000億円程度に棒引きされたが、それでも個人で返済可能な金額を遙かに上回るものであり、個人向け民事再生法を適用して2002年、「6年間で約1億5,000万円を返済すればよい」という形で一応の決着を見た。

不動産投資の失敗で膨れ上がった借金について、「利子は一日5,000万円です」と本人が困った様子もなく、開き直ったようなコメントを当時のテレビ番組で語っている。
マスコミの借金報道が過熱した結果、「俺はマスコミのおもちゃじゃない。男は余計なことをしゃべらない!」と激怒し、以降しばらくマスコミとは距離を置いていた。