藤子不二雄は、『オバケのQ太郎』『忍者ハットリくん』『怪物くん』のヒット・テレビアニメ化に続き
『ドラえもん』で国民的漫画家へ上り詰めたが、1987年突然コンビ解消を発表した。

藤本弘は正子夫人との間に三女をもうけたが、安孫子素雄・和代夫人に子供は無いようである。

安孫子素雄の姉松野喜多枝は藤子スタジオ社長を務めた「やり手」で、病に倒れた藤本弘は
彼女の存在が両家の紛争を招くと懸念しコンビ解消を決意したといわれる。

それまで藤本弘と安孫子素雄は「藤子不二雄」の名で作品を管理し収入も折半していたが、
合作によるヒットは『オバケのQ太郎』が最後で以降はほとんどが単独作品であり、コンビ
解消に伴い藤本弘は「藤子・F・不二雄」・安孫子素雄は「藤子不二雄A」の単独ペンネームを
名乗り旧作の著作権も分割した。

『ドラえもん』『パーマン』は藤子・F・不二雄、『忍者ハットリくん』『怪物くん』は藤子不二雄A。

藤本弘は1996年に逝去したが、現在表立った両家のトラブルは起っていない。