矢作と藤沢を継ぐ男、見つかる

田中克典師「一勝よりも一生」勇気ある撤退でつかんだピンハイとのG1初挑戦
https://news.yahoo.co.jp/articles/06061b95e749eba5ebf2d4a65a4e1d4030069a99

ピンハイと指揮官の出会いは、技術調教師となった2年前の夏だった。
「オーナーさんが矢作さん(義父)と懇意にされていて、(妻の)麗を
娘のような感覚でかわいがってくれていたらしいんです」と預託の経緯を説明する。

次戦に予定していた赤松賞は自重することに。「1週前から体が減って、
毛ヅヤもさえなくて。当週に“やめさせてください”と。開業したばかりの
調教師なのに聞いてくれるなんて、ありがたく思います」。技術調教師
時代の1年の大半を藤沢和雄元調教師に師事。『一勝よりも一生』−。
その言葉に倣った勇気ある撤退が、桜花賞出走へとつながった。