9回27奪三振編集

ピッツバーグ・パイレーツ傘下D級ブリストルに所属するネッチアイは1952年5月13日、ショー・スタジアム(バージニア州ブリストル)で行われた観衆1,183人の対ウェルチ(英語版)戦において9回27奪三振の偉業を達成した[5]。

まず初回に三者連続奪三振の立ち上がりを見せる[5]。2回にウェルチの打者の一人が遊撃手へのゴロで凡退し、ネッチアイは残る2人を三振に切って取る[5]。3回には味方一塁手の失策から先頭打者を塁に出すが、続く3人を三振に打ち取る[5]。
3回が終わってダッグアウトに戻り、燃えるような胃の痛みを訴えるネッチアイに、監督のジョージ・デトア(英語版)は出来る限り長く投げるようにと突き放し、そのまま続投させた[5]。

4回からウェルチ打線はセーフティーバントを試みるが、打球はことごとくファウルになった[6]。ネッチアイは勢いに乗ってその後も奪三振ショーを繰り広げ、
6回を終わった時点で奪三振の数は17個に達していた[5]。燃えるような胃の痛みを抱えながら7回と8回もそれぞれ3人から三振を奪う[5]。9回の先頭打者がファウルフライを上げたときは、
ファンの「落とせ」という叫びを聞いて捕手のハリー・ダンロップ(英語版)が落球し、結局この打者も三振する。その次の打者も空振り三振に取る[5]。
9回の3人目の打者も空振り三振となるが、捕逸で打者は振り逃げを試みて出塁する[5]。ただ、この捕逸は故意ではなかったという[1][5]。ネッチアイはその次の打者からも三振を奪い、
ノーヒットノーランに加えて9回27奪三振という北米のプロ野球の歴史においても史上唯一となる究極の記録が達成された[7]。