>>477
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栗原らの反乱部隊が、松尾を殺害し、さらに松尾の遺体を見て、岡田を殺害したと誤認した経緯について、岡田は次のように述べている[4]。

松尾は、首相官邸に侵入した反乱部隊が、警護の警察官たちを射殺した後、首相官邸の中庭にいる所を反乱部隊に発見され、集中射撃を受けて死亡した。事件後の検視の結果では、十五発ほどの銃弾が体内に入っており、胸や顎には銃剣でえぐった跡があるという凄惨な状態であった。
居室で就寝中に反乱部隊の襲撃に遭い、機敏に隠れて難を逃れた岡田は、松尾が射殺された少し後で、松尾の遺体を見つけた反乱部隊の兵隊たちが「ここに誰か死んでおるぞ」「じいさんだ。これが総理大臣かな」と言い交しているのを、隠れ場所から聞いた。
兵隊たちは、庭から松尾の遺体を岡田の居室に上げ、岡田の布団に横たえた。そして、居室の欄間にかけてあった岡田の肖像画[注釈 3]の額を、小銃に装着した銃剣で突き上げて畳の上に落としたが、その際に銃剣の先で額縁のガラスを突き、岡田の顔の眉間を中心に大きなヒビが入り、肖像画が良く見えなくなった[注釈 4]。
興奮している反乱部隊の面々は、松尾の遺体の顔と、ガラスに入った大きなヒビで良く見えない岡田の肖像画の顔を、形式的に見比べただけで「遺体は岡田である」と判定した。

岡田の生存を察知した秘書官の福田耕・迫水久常(岡田の女婿)は憲兵曹長の小坂慶助らと提携し、首相官邸を占拠する反乱軍の監視の下、首相官邸への弔問が許可された際、弔問客の出入りに紛れて岡田を救出する作戦を立て、これが成功して岡田は首相官邸からの脱出に成功した。