>>114
サクラ関係ないけどサンエイサンキューをウマ娘にするか😭

田原は「こんな状態の馬に責任は持てない」と騎乗を断り(トウカイテイオーの騎乗予定もあった)、加藤和宏のへの乗り替わり。それでもオーナーの意向には逆らえないのが競馬。サンエイサンキューは有馬記念に出走した。関係者は「順位なんてどうでもいいから無事に回ってきてくれ」と願い、鞍上の加藤も後方でそっと騎乗した。
・・・しかし最後の直線、サンエイサンキューの足は止まった。右橈骨手根骨複骨折。レース後、トウカイテイオーに騎乗していた田原は「俺が止めなきゃいけなかったのに何もしてやれなかった」と目を赤くしたという。
その後、サンエイサンキューの故障は通常ならその場で安楽死になるレベルの重篤なものだったが、馬主は延命治療を決断。しかしその理由も馬への愛情ではなく「繁殖に上げれば金になる」というものだった。脚にボルトを埋め込む手術が行われたサンエイサンキューは長い闘病生活で一時は回復することもあったが徐々に衰弱。元々430kg程度と小さかった馬体は300kg近くまで痩せ細り、蹄葉炎も併発。それでも2年近く辛抱強く生き続けたが、1994年10月に心臓麻痺で力尽きた。