79年、中日の本拠地だったナゴヤ球場は老朽化が進んだことで、日本初のドーム球場建設の構想が発表された。東京ドームが誕生する9年も前のことだ。候補地は名古屋駅から徒歩12分の日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)の本社工場だった。

 敷地面積はナゴヤ球場の3・5倍あり、収容は4〜6万人を想定。総工費(100〜150億円)の半分を日本陶器が負担し、残りを地元財界などが負担すると具体的だった。目新しさに加え、新幹線、東海道線、中央線、名鉄、近鉄、地下鉄が通るターミナル駅圏内と立地も最高。ファンは胸躍らせた。

 しかし、5年後にすべては白紙撤回となった。理由は名古屋五輪の消滅だった。77年に愛知県知事が提案し、JOCが立候補を決めたが、投票で敗れた。日本陶器の幹部は後に「そろばんが合わなかったのが最大の理由。採算をとるには名古屋ではイベントが少ないと判断した」と語ったという。

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