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落合は著書『采配』で、山井を交代させた理由は右手中指のマメ(肉刺)をつぶして出血していたことをあげた。「記録やタイトルが選手を大きく成長させる」として「プロ野球OBの立場で言えば、(中略)山井の完全試合を見たかった」「せめて3、4点取っていれば、山井の記録にかけられるのに」と思ったが、ドラゴンズの監督として53年ぶりの日本一のために最善の策を取ったとし、「あの時の心境を振り返ると、『山井は残念だった』というよりも、『ここで投げろと言われた岩瀬はキツいだろうな』というものだったと思う」と記している[3]。
バッテリーチーフコーチの森は、著書『参謀』[5]で、「山井がマメをつぶしたことに気がついた時点で完全試合ペースでもリリーフを送る可能性が高い」と判断してリリーフの準備を進めていた。その一方で投手経験者として完全試合に関する投手心理を理解しているため、普段の試合なら本人が嫌だと言ってもマウンドに行かせるが、山井の指の状態が悪い中で監督が「日本一を取りにいく」と言いみんなが求めていた日本一を1イニングで変えてしまいかねない状況で悩んでいた。8回表終了後に山井に「どうする」と聞き、山井が「岩瀬さんにお願いします」と降板を申し出たので岩瀬に継投したと述べている。なお、森は現役時代に駒澤大学在籍時の投手として1976年の全日本大学野球選手権大会で完全試合を達成している。
落合と森は共に、完全試合目前で逆転負けして第6試合以降の敵地・札幌ドームに行く流れになったら、日本シリーズで優勝できない、と考えており、第5試合での勝利による日本一を最優先したと述べている[3]。その一方で継投決断の直前には完全試合について非常に激しい葛藤があり、「(岩瀬への継投が日本シリーズ優勝への最善策と思っていたが、)降板を申し出た山井の言葉に救われ、正直ほっとした。もし、山井が続投を主張していたら9回もマウンドに行かせていた」と述べている。また、強いプレッシャーの中でマウンドを託されて1イニング0点に抑えた岩瀬を高く評価した。