鎌倉殿の19人
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
こんなんドラマでもキツすぎるわ
大泉は馬から落ちて死ぬ時本当に落ちろ
死ねとは言わんから本当に痛い目を見ろや
許せんわこんなん 太平記の鎌倉幕府滅亡と葵の三成処刑以来の歴史に残る神回や >>185
比企と北条は流人時代最初に味方についたから頭が上がらんし
頼朝の中では比較的信頼できる一族でもある まだ仲良く滅びた平家の方がましやな
兄弟手を取り合って死んでったりするし 史実の歴史
寿永2年(1183年)12月、梶原景時の讒言によって頼朝から疑われた広常は暗殺されることになる。景時と双六に興じていた最中、景時は突然盤をとびこえて広常の首を搔い切ったとされる(『愚管抄』)[8]。嫡男・上総能常は自害し、上総氏は所領を没収され千葉氏や三浦氏などに分配された。この後、広常の鎧から願文が見つかったが、そこには謀反を思わせる文章はなく、頼朝の武運を祈る文書であったので、頼朝は広常を殺したことを後悔し、即座に広常の又従兄弟の千葉常胤預かりとなっていた一族を赦免した。 小栗が役に入り込みすぎて大泉への当たりがキツくなったらしいけど無理もない気がする >>364
まだ冠者どのも待ってるからなざまぁで埋まるやろな 上総介を殺さなければ組織が崩壊していたんだ
悔しいだろうが仕方ないんだ >>231
秀吉が一番怖かったのは家康やなくて官兵衛やし これは史実的にはミスとされとるんか?
それとも良い一手とされとるんか? >>365
言うて同時代の玉葉でも頼朝はクソ野郎だぞ この回はゲーム・オブ・スローンズの血の結婚式に匹敵するわ ワイの中の義経イメージも頼朝イメージももう終わりだよ >>378
雑魚は領地持ってないし山分けできへんやん 上総広常
評価 編集
歴史学者で京都女子大学名誉教授の野口実は広常のことを「いささか大風呂敷で露骨な大言壮語を吐くが、根は気の小さい、やさしい性格」と評価している[1]。 >>413
手紙は史実だとされてる
ここまで冷淡な態度を頼朝にとらせたのは
三谷解釈 そらこんなクソみてえな話コメディまみれじゃないとお茶の間で放送できませんわ よっしゃ産まれてくる子供に上総介って名前つけようぜ! >>300
北条義時(主人公)
北条時政(追放)
大江広元(合議制終焉まで生存)
三善康信(病死)
中原親能(出家)
二階堂行政(消息不明)
三浦義澄(病死)
和田義盛(族滅)
比企能員(族滅)
安達盛長(病死)
足立遠元(病死)
梶原景時(族滅)
八田知家(合議制終焉まで生存) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています