史実の歴史

寿永2年(1183年)12月、梶原景時の讒言によって頼朝から疑われた広常は暗殺されることになる。景時と双六に興じていた最中、景時は突然盤をとびこえて広常の首を搔い切ったとされる(『愚管抄』)[8]。嫡男・上総能常は自害し、上総氏は所領を没収され千葉氏や三浦氏などに分配された。この後、広常の鎧から願文が見つかったが、そこには謀反を思わせる文章はなく、頼朝の武運を祈る文書であったので、頼朝は広常を殺したことを後悔し、即座に広常の又従兄弟の千葉常胤預かりとなっていた一族を赦免した。