●怪物松戸競馬

松戸競馬の不正として報じられた不正はマスコミには多種多様な手口が書かれている。第一回開催では馬券の記載が暗号ペンチというもので印をつけただけなので馬券を買った観客には記載内容がわからない。観客が買った馬券が当たったので払い戻しを受けに行くとその馬券は違う馬の物だと言って払い戻しを拒否したという[17]。

批判を浴びて1908年(明治41年)の開催では馬券には開催日、レース回数、馬番が明記されるようになった[18]が、競馬会の人間が発売締め切り後にこっそりと馬券をポケットに入れ(売れてもいない馬券が売れたことにする)、あるいは競走が始まってから形勢を見て勝ちそうな馬の馬券を競馬会の人間が買うといったことも行われたという。いずれの手口でも正規に馬券を買った観客には払い戻し額が正規の計算より低額になるわけである[7]。

これらの不正に観客が事務所に抗議に行くと競馬会は雇ったゴロツキを使ってこれを封殺したという[17]。