>>408
ヤベエ奴なの草

https://diamond.jp/articles/-/109420
私が株式会社武蔵野の社長に就任したのは、バブル絶頂期の1989年です。

当時の武蔵野は、とにかく猛者揃い。学歴も高く、中卒が2人で、残りは限りなく中卒に近い高卒でした(笑)。
幹部の16人中5人は、元暴走族でした。
「多摩地区全域をシメていたスケバン」も、「世代を超えた伝説の特攻隊長」として名を馳せた強者もいた。
アロハシャツにバミューダパンツで出社し、営業車に乗ってサーフィンに出かける社員もいました。

また、あろうことか、営業社員の20%は、社内でなんらかの不正に関わっていました。
当時の社員は不良ばかりで、仕事熱心とは言いがたかった。
けれど、そんな彼らが、唯一「戦力」として活躍するときがありました。
どんなときだと思いますか?

ライバル会社との「縄張り争い(シェア争い)」のときです。
今だから書けますが、当時はこんな毎日でした。
ライバル会社の営業車を見つければ、いたずらをする。
前後左右をわが社の車で取り囲んで動けなくする。
ライバル会社の営業マンを見つければ、尾行する。
武蔵野の縄張りに近づいてきたら、

「こちら側に一歩でも入ってきたら、どうなっても知らない。けれど、今すぐ引き返せば、何もしない」
と脅しをかける。
ライバル会社のオフィスに、「野球」をやりにいった社員もいます。
敵陣に押しかけて、「みなさんと一緒に、野球をやりにきただけですから」と言いながら、バットを振り回す。
そして、「これからは、1000円のマットを500円で扱わないでね。よろしく!」と宣戦布告する。

25年前の話でもう時効ですが、わが社の社員は、武闘派ばかりでした。
普通の会社の社長なら、「警察沙汰にでもなったらどうしよう」「犯罪者が出たらどうしよう」と怖じ気づいたでしょう。
けれど、私はまったくうろたえなかった。
なぜなら、私こそ、社内一の武闘派だったからです。
「ライバル対策は、武蔵野のお客様を守るための活動だ」
と屁理屈をこね、
「捕まっても助けてやるから、思う存分ライバルを潰せ」
と言って社員をたきつけたのは、社長の私です。
シェアを奪うためには無茶もたくさんしましたが(私たちも、ライバル会社から同じような仕打ちを受けました)、社員が警察に捕まったことも、ライバル会社から訴えられたこともなかった。犯罪者も出ていない。

元暴走族と言ってもバカではありませんから、やっていいことと、やってはいけないことのギリギリの線引きはわきまえていました。