【日テレ】金曜ロードショー!「魔女の宅急便」★20
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小学校の頃に映画公開されて何回見ただろう
魔女宅以上のジブリには出会ってないな >>243
駿の脚本だとウルスラと話して終わりだったし
トンボ救出はおまけや >>317
???「大人になれってメッセージ入れたら面白いやろなぁ」 ジブリだけedをカットしないヘイト企業日テレを許すな ジブリて定期的に懐かしいの流してたら一生安泰なんやろな
新しいの作らんでも 飛べなくなった理由
まだ地盤の固まっていない若者の一人暮らしで怖いのは「疎外感」だ。
自分が世間で誰からも必要とされていないのだという恐怖。
この恐怖に飲み込まれずになんとか踏みこたえられるようになること。
そこが本作の描こうとした「13歳なりの通過儀礼」ではなかっただろうか。
落ち込んだキキは、映画の前半に出会った森に住む絵描きのウルスラに誘われ、彼女の小屋で一晩を過ごす。
ウルスラは、そこで人生の少しだけ先輩として、自分が行き詰まった時にどう対処してきたかを静かに話す。
つまりウルスラには、キキが精神的に成長するであろう姿が重ね合わせられていると考えられる。
ウルスラが語るのは「成長する時には、それまで無意識にやっていたことができなくなる。
でもそれは、自分がなにをやりたいかを掴み直すチャンスだ」という内容だ。
キキはここで、魔女がなぜ一人で修行に出るのか、という意味を自分なりに捉えることができるようになる。
キキは、クライマックスでトンボを助けるためにデッキブラシで空を飛ぶ。
それは彼女の中で、自分は飛ぶことでしか世間にコミットできないんだ、ということを自覚できたから飛ぶことができたのだ。
それは「飛べない自分」を経由しなくてはわからないことだった。
そしてそれは、ウルスラが語った、絵が描けなくなった後、絵を描くということがわかった、という言葉を、今まさにキキが反復しているという状況なのだ。
きっとキキは、いつか誰かに、この時のことをウルスラのように静かに振り返るのだろう。 >>361
最悪なのはいい歳してクレヨンしんちゃん見てるお前の人生定期 あくまで原作の一部だけなのにしっかりまとめてるの凄いわ >>330
原作やと「自分が猫語しゃべったらええやん」って開き直ってニャーニャー言うで ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています