内密にされたこの件はやがて大姫に伝わり、以後は病床に伏すほどに衰弱してしまった。
その様子を見た大姫の母政子は、たとえ主命といえども事前に大姫に相談するなどの便宜を図らずに義高を殺した光澄を憎み、頼朝を押し切る形で6月27日に光澄は獄門にかけられた[2]。

これはひどくない?