周章した大姫は魂を打ち消すほど打ちしおれてしまう。
4月26日(6月6日)、親家の郎党である藤内光澄が鎌倉に戻り、入間河原で義高を討ち取った旨を報告する。
この事は内密にされていたが、大姫の耳に入り、悲嘆のあまり水も喉を通らなくなるほどだった。
6月27日(8月5日)、政子は大姫が病床に伏し、日を追って憔悴していくのは義高を討ったためだと憤り、ひとえに討ち取った男の配慮が足りなかったせいだと頼朝に強く迫り、藤内光澄は晒し首にされた。


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