同年6月に一条忠頼の謀殺に加わるが、顔色を変えて役目を果たせず、戦闘にも加わっていない。同年8月、源範頼率いる平氏討伐軍に加わり、山陽道を遠征し豊後国へ渡る。文治2年(1186年)4月に静御前が鶴岡八幡宮で舞を舞った際に鼓を打っている。

建久元年(1190年)7月、大倉御所で双六の会が催され、遅れてやって来た祐経が、座る場所がなかったので先に伺候していた15歳の加地信実を抱え上げて傍らに座らせ、その跡に座った。信実は激怒して座を立つと、石礫を持ってきて祐経の額にたたきつけ、祐経は額を割って流血した。

工藤祐経史実も無能キャラで草