また映画になりそうな話が

2日(AP)― ロシア軍によるウクライナ侵攻が開始された翌日の2月25日、
首都キーウの北を流れるイルピン川にあるダムのゲートが開放された。
その結果、下流にあるデミディウ村とその周辺が洪水に見舞われた。
それから2カ月が過ぎた今日になっても、水は引いていないが、首都はロシア軍の手に落ちずに済んだ。
  ダムの水を開放したのはウクライナ軍の戦略だった。
 ウクライナ軍は侵攻直後から、首都を目指すロシア軍の大部隊を止め、
防衛線を構築するための時間を稼ぐために、首都周辺の川に架かる橋をことごとく爆破。
さらに、ダムの水を放流し、進撃路に当たるデミディウ村と周辺の田園地帯を泥沼に変えて、
ロシア軍の戦車や補給部隊の車両をストップすることに成功した。
その結果、ロシア軍は首都制圧を諦めて撤退。
デミディウ村が最前線になることはなく、ブチャで起きたような大量虐殺も防ぐことができた。
今も自宅の地下室の水が引かないという村の住民は、ダムを開放する作戦に価値があったかと尋ねられて、
「ロシア人がいないということは、価値があったということです」と笑って答えた。