西武でFA宣言をした頃、ある球団の人から「富士山は遠くから見るから綺麗なんや」と言われたことがある。憧れは憧れとして遠くから眺めていた方が幸せだと言うのだろう。その時はその意味が分からなかった。ジャイアンツの一員になって、その人が何を言いたかったかを理解した。野球選手の夢の戦場だと思っていた場所は、裏から見れば大人の論理と冷徹な計算が支配する寒々しい場所だった。僕は血の通った同じ人間ではなく単なる使い捨て商品のように扱われた(中略)

 彼らは高校時代に僕を刺したナイフ、錆びてボロボロになったナイフを持ち出して最後の最後で僕の腹や心臓をまたグサグサ刺したのだ。昔のことは水に流して、巨人軍のために戦ってくれないかと頭を下げたくせに今はまた手の平を返したように、労いの言葉ひとつも無く放り出す。自分たちにとって利用価値が無くなればただのゴミだと言わんばかりだった。
(清原和博著書「男道」より)