『平家物語』よれば、渡邊津を出航するにあたり義経は戦奉行の梶原景時と軍議を持ち、景時は船の進退を自由にするために逆櫓を付けようと提案した。しかし、義経は「そのようなものを付ければ兵は退きたがり、不利になる」と反対する。景時は「進むのみを知って、退くことを知らぬは猪武者である」と言い放ち、義経は「初めから逃げ支度をして勝てるものか、わたしは猪武者で結構である」と言い返した。逆櫓論争である。景時は深く遺恨を持ち、後の頼朝への讒言となり、義経の没落につながったとされる。
史実なんか
【壇ノ浦】鎌倉殿の13人
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
471それでも動く名無し
2022/05/08(日) 18:10:43.64ID:fKttxHMdp■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています