100年前の状況だけど現在にも通じそうやなあ

ラスプーチンは死んだ。だが一九一七年に入っても国内状況は改善されなかった。
輸送網が麻痺して、前線の兵士たちや一般市民への食糧の補給が難しくなった。
二月一九日、ペトログラード市当局は食糧の配給制を決めて、市民に通告した。きびしい寒さのなか街のパン屋の店先に人びとが行列を作りはじめた。
またロシア最大の軍需工場で、何万人もが働いていたプチーロフ工場では労働者の解雇が始まった。
物資の不足のために操業を中止しなければならなかったからである。
生活と将来に不安をかかえた女性たちはデモ行進にでた。
土肥恒之『興亡の世界史 ロシア ロマノフ王朝の大地』