ヴァヴィロフが収集した種子コレクションのうち、独ソ戦に際してドイツ軍が占領した地域(主にクリミアとウクライナ)の研究施設に保管されていたサンプルは、オーストリアのグラーツ郊外のナチス親衛隊の研究所に運び去られた。しかし、コレクションの中核となるレニングラードに保管されていたサンプルは、悲劇的なレニングラード包囲戦にもかかわらず影響を受けなかった。標本の種芋を守りながら自らは餓死した研究員の話も伝えられている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ニコライ・ヴァヴィロフ

ここまでして守ったのに…