あのダービー(19年)には、ウチの厩舎からは無敗で皐月賞を勝ったサートゥルナーリアも出ていて、断然の1番人気でした。12番人気だったロジャーバローズは2番手でハミを抜いて走れていて「意外に頑張りそうだな」と見ていました。しかし、まさかサートゥルナーリアにかわされないとは想像しておらず、直線では「どうなってるんだ」という思いでした。

正直なところ、勝った後は複雑な心境でした。うれしかった半面、1番人気の馬が3着にも入れなかったわけですから。まだペナルティー明けで皐月賞の時には記者会見や表彰式にも出ておらず、久しぶりにインタビューを受けたこともあって、ファンの方々へ何と言っていいのか分かりませんでした。

浜中君にとっては初めてのダービー制覇となりました。京都新聞杯では予定していた別の騎手が騎乗停止で乗れなくなり、代わって彼にお願いすることになりました。「ダービーは運の強い馬が勝つ」ともいわれますが、運命のような流れもあったのでしょう。

その後は凱旋門賞への挑戦が決まりましたが、残念ながら右前脚の屈腱炎で引退となりました。今から思えば、まだ体のゆがみが直りきっていない状態で、結果的に頑張りすぎてしまったのかもしれません。

当時の私はすでに引退まで2年を切っており、ダービーへは「最後の挑戦になるのかな」という思いもありました。普通はサートゥルナーリアが負けたら終わりです。でも、もう1頭のロジャーバローズが助けてくれました。ペナルティーを受けたばかりの私も救われました。ダービーでは2勝を挙げることができましたが、ウオッカの時(07年)を含め、どちらも思い出深いレースで忘れられません。

へまちんが運良くダービージョッキーになったみたいな言い方やめろ