昭和の脱獄王とあだ名された実在の囚人

1936年 青森刑務所 - 手桶の箍で手製の合鍵を作り、開錠して脱獄。
1942年 秋田刑務所 - 収監された鎮静房の天窓の釘が腐りかけていることに気づき、布団を丸めて立て、そこによじ登って脱獄。
1944年 網走刑務所 - 味噌汁で手錠と視察孔の釘を錆びさせ外し、関節を脱臼させ、監獄の天窓を頭突きで破り煙突を引き抜いて脱獄。
1947年 札幌刑務所 - 床下からトンネルを掘り脱獄。視線を上に向けてごまかしながら隠し持った金属片でノコギリを作り、床板を切断。食器で穴を掘って逃走。
1948年 府中刑務所に収監。以後模範囚として過ごし、1961年に仮釈放。

能力
身体の関節を簡単に外すことができる特異体質を持っていたとされ、頭が入るスペースさえあれば、全身の関節を脱臼させて、容易に抜け出したという。
健脚であり、1日に120kmもの距離を走ることができた。
網走刑務所では手錠の鎖を引きちぎるという怪力ぶりも見せており、その結果再収監後は重さ20kgもの特製の手錠を後ろ手に掛けられることとなった。
また、地中深く突き立てられた煙突の支柱を素手で引き抜き、40歳を過ぎてなお、米俵を両手に持って手を水平にすることができるなど、その怪力ぶりは群を抜いていたとされる。