「ダービーはね。いつの時代もパターンは同じだと思う。王道組(皐月賞組)が一番強い。戦っている場所が違うんだから。舞台が違うんだ。青葉賞、プリンシパルSは(成長が)遅れている馬たちの組。早い組は皐月賞に行っている。(青葉賞からダービー2着の)シンボリクリスエスもゼンノロブロイもダービーでは追い付いたけれどね。ただ、勝てなかったから」

藤沢和雄厩舎がダービーを勝てないことは“七不思議”と言われた。待ちに待った瞬間が訪れたのは17年。「レイデオロは2歳のうちに3連勝でホープフルSを勝って、調整が遅れたからぶっつけで皐月賞になったけど、ゴール前の脚が良かった。ダービーはペースが遅くて、ペルーサのときの二の舞いか、『あぁ』と思った瞬間にルメールが動いた。ダービーにワクワクしたときもあったよ。最後まで勝てないのはダービーかなと思ったときもあった。だから、勝ってみんなが喜んでくれてよかったよ。(助手時代に81年の)カツトップエース、(84年の)シンボリルドルフを見ているから、ダービーって大したことない、3歳限定のレースだ、と思っていたこともあったけど、その3歳限定というのが難しかった。2回出られないから。3歳の6月というのは圧倒的に馬が幼い。2400メートルで過酷なレースなんだ」。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18982d47a06e26e3632bc3808998b45c2db6eed2

藤沢は定年5年前に皐月を叩いたらダービー取れることに気がついたからな