豊臣秀吉(農民の出です、コネありません、有力な親族いません)
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戦国3英傑で一番凄いのコイツだよな
信長家康と比べてスタート地点が絶対おかしい ワイのご先祖は畠山貞政とかいう武将の城で足軽大将やってた
センゴクでも名前だけ出てきた鳥屋城とかいう城
あいつがもっとガチってれば今もっと良い暮らしできてたかもしれんのに >>311
己がノリノリで息子信康の腹切らせたんですがそれは >>278
東京五輪に合わせてオリムピックなんやから万博にも万博ぶつけるやろ 課金しまくって源平藤橘に続くワイだけのオリジナル姓作るやで~w
これすき >>1
織田信長の楽市楽座も兵農分離も戦前の通説が近年の歴史研究で否定されとるんやで
>ちょっと専門的な内容。「楽市楽座」は、信長が始めたわけでもなく、習ったような内容でもなく、自由経済の先駆けのように捉えるのは、後の世の偏った見方のようだ。敵国の近くなど戦略上重要な場所に人を集めるために、安心して商売ができるよう保護したのが「楽市」で、「楽座」の事例は少なく、内容も「座」を廃することではなく、座からの徴収金を減らして商人にとって楽になるという意味であった。教科書で習った「楽座」=「破座」は秀吉の時代の話であるようだ。歴史の教科書はどんどん変わっていくので、世代間の常識に隔絶が生じるなあ。
>刺激的な一冊。「楽市楽座=信長」というイメージを廃し、織豊系以外の大名の「楽市」も考察する。大名ごとに様々な目的で出され、恣意的に運用される「楽市」は「自由な商取引」という言葉だけでは説明がつかず、また商人側も「諸役免除」に拘り、それが「楽市」に伴うものかどうかは重視しない。さらに衝撃は「楽座」で、それが役銭の減免を願う座側の申し出であり、「座の特権廃止」とは全く異なるということ。常識が揺さぶられるエッジの立った内容で、大変勉強になりました。
楽市楽座はあったのか (中世から近世へ)
https://bookmeter.com/books/13447652 >>311
息子自害は岡崎閥と三河閥の対立争いの結果が最新版やろ 徳川家康(松平が微妙です。コネが今川です。有能な親族いません) >>291
たまたまタイミングもよかった
関白は五摂家で持ち回りやけど当時クソ揉めててじゃあ実力者の秀吉にしたろ
恩も売れるし朝廷に取り込めるし丁度ええわって感じ 秀吉が種無しじゃなかったら日本の歴史はどうなってたやろな >>304
じゃなかったら氏真とか許してもらえるわけない品 ●「楽市楽座」の実態
そもそも「楽市」とはもっぱら諸役免除(税や夫役の免除)を認可された市場を意味する。
誤解が多いが「誰でも自由に商売が行える"フリー"マーケット」などではない。
信長に限らず六角氏や今川氏など各地の大名が発行した「楽市令」とはもっぱら諸役免除に加え押売・押買など不当行為の禁止を明記し市場の安全を保証する内容で共通している。
(なお信長は京において「名物狩り」という押買行為を行っている)
そして織田信長の「楽座」とは座の廃止どころか座を認めた上で税(座役銭)を軽減するという座の優遇政策だった。
朝倉氏の滅亡後、庇護下にあった座を信長が安堵した史料も残る。
実際の座の廃止にあたる「破座」令は後年の豊臣政権下で行われた。
そもそも「楽市楽座」の通説は皇国史観で悪名高い日本史学界の黒歴史・平泉澄が捏造したもの。
そして「鎖国」や「士農工商」同様、史実と大きく乖離した内容が歴史教育の場で定着してしまった。
関所についても信長は他の大名と同じく支配拡大で不要になった軍事関は廃止しても
関税を徴収する商業関は多くが存続し、恭順した勢力の既得権益が保証された事例も多い。
例えば信長支配後の京では関税徴収の先駆けである「京の七口」が存続しており
琵琶湖においては水運を支配する堅田衆の関税を織田に上納させ、当地の関税に伊達家の使者が不満を記した史料も残る。
こうした信長支配後も存続した商業関は豊臣政権になり廃止が進んだ。
明治以降の皇国史観や井沢元彦の歴史ファンタジーで定着した「織田信長=既得権益と戦い中世を終わらせ新たな時代を築いた英傑・天才」という史観は近年の歴史研究の視点ではもはや時代遅れ。
むしろ「最初の天下人」こと三好氏凋落後の畿内における既得権益との癒着や支配地への過酷な課役、京の地子銭の復活など前時代的な方針こそが織田氏の権力拡大に多いに寄与したとされる。 >>322
信長が命令したんじゃなくて単に家康が信長に許可取っただけやね 秀吉と秀長の種無しっぷりやばいよな
家系なんか、それとも織田家がブラック企業体質の結果なんか 秀吉秀長が絶倫だったら木下家もっと繁栄してただろな >>295
その教科書おかしいからね
修正するべき
資料で農民だったなんて証拠がない ●「兵農分離」の実態
90年代に大ヒットした井沢元彦のトンデモ歴史ファンタジー「逆説の日本史」によって
「戦国時代、信長以前の大名の主兵力は農民で合戦は農閑期しか行えなかった。それを信長は「兵農分離」を行い常備軍を有して一年中合戦を行えるようにした」という俗説が世間に広まったが…
この「信長の兵農分離」概説、現在多くの歴史研究者に多方面から否定されている。
そもそも信長が兵農分離政策を行った証拠とされてきた史料(「信長公記」中の記述)とは、
実は古くは朝倉氏が分国法で定めるなど既に各地の大名が行っていた城下集住すら織田氏は遅れていた、信長の革新性どころか後進性を示すだけのものであった。
兵農分離を行った証拠は実はない(真田丸の時代考証・丸島和洋氏の解説)
https://togetter.com/li/327812
ちなみにその記述を要約すると「信長は安土に移転後も未だに城下に妻子を移住させない家臣達に怒り、失火事件を機に彼らの実家を焼き討ちした」というもの。
今川義元が勢力を伸ばす時期、既に有力大名は寄親寄子制や直属の牢人衆などで季節に関わらず兵を動員する体制を構築しており
今川軍が桶狭間の戦いで6月に大軍を動員できたのもこの理由。川中島の戦役でも両軍が夏期の農繁期に対峙している。
豊臣政権の小田原征伐に対する後北条氏の百姓動員令のような事例は緊急事態に限られ、その状況においても百姓の主な仕事は普請等で直接戦闘に参加する事は少なかった。 信長「これからは岐阜の時代や!」
センスなさすぎだよね
ここは完全に秀吉家康に完敗 ●井沢元彦が広めた「織田信長は"政教分離"を推進した」論の矛盾
・そもそも信長自身が熱田衆、津島衆、根来寺といった宗教勢力の軍事力を利用し合戦に動員させている。
・信長による比叡山焼き討ちは信長が上洛以降、畿内の比叡山の荘園(山門料)を不当占拠した事が発端。
延暦寺は当初平和的解決を図りこれを朝廷に訴え、朝廷は山門領の返還を求める。しかし信長側はこれを無視し占領を続ける。この結果信長と延暦寺の関係は悪化し後に浅井・朝倉が比叡山に陣を構える遠因となった。
・石山合戦や伊勢長島の虐殺で知られる本願寺派(一向一揆)との戦いも、そもそも信長による大坂への侵略が発端。それまで本願寺は信長が要求する多額の軍事費(矢銭)も払い平和を望んでいた。
・越前の平泉寺では織田に協力的な派閥をそそのかし、武装解除どころか武力抗争を勃発させる。
・また信長は自分に恭順した勢力に対しては関所や座といった既得権益を認め、寺社等が関税を徴収してきた「京の七口」は織田氏の京支配後も存続していた。こうした関所が廃止されたのは豊臣政権の時代 種無しが故に色々滅茶苦茶になって政権崩壊したと思うと普通に悲しいわ どうせこのスレの連中も呑百姓が先祖なんだろ
死ねよ >>323
嫁が今川
母親が水野
松平一族は……うん
これで不満でも? ●織田信長の生前に最も近い肖像画
信長の肖像は従来緑色の服装の肖像画(長興寺蔵)がポピュラーで教科書にも載ってきたが
近年の歴史研究の書籍ではこちらの肖像画(大徳寺蔵)の採用が増えている
http://www.shouzou.com/mag/p/daitokuji700px.jpg
https://star.ap.teacup.com/tensi/timg/middle_1308435680.gif
この肖像画は生前の信長に面会した絵師の狩野永徳本人が制作したもので緑のものより写実性に優れ、
信長は丸顔ではなく痩せた面長な顔であったことが伺える。
有名な緑色の服の肖像画は永徳が安土に赴く間実家の留守を預かった弟・元秀が(大徳寺蔵)を模写して描いたものと考えられ、
他に残る複数の肖像画もやはり(大徳寺蔵)やその模写を基に描かれたとされる。 氏真は家康が今川離れて織田に付く時に怒って今川にいた徳川の重臣達の妻子を磔にしたと聞いたがよく報復されなかったな >>336
まあ信長は大阪を開発する可能性もあったやろ。その前に本能寺の変が起きたけど 子供の頃
氏真「家康くーん!あーそーぼ!」
晩年
氏真「家康くーん!あーそーぼ!」 木村吉清(武功ありません、出身もわかりません、何故か急に30万石貰います) >>349
そして即失敗して左遷されます
可哀想すぎない? 羽柴四天王とかいう1ミリも創作界隈を盛り上げない連中
もっと別の選出があったやろ 臣籍降下のおかげで武士なんてほとんど源平藤橘の何かしらの血が入ってるんだから後からどうとでもできるよな 天正大地震が無ければ家康は討たれて豊臣家の天下安泰だったよなぁ
家康は本当に色々と持ってるわ 主君が趣味で育ててた野菜を「武士らしくない」と言って馬で踏み荒らす三河武士さん 秀吉は刀狩がすごくないか
今の日本にまで影響しとる >>359
まあ逆に言えばそうしなかった辺りれっきとした武士ではなかったやろな >>2
たしかに
秀長が無能だったらかなりきついよな
九州征伐も余裕な感じだしてるけど秀長が有能だっただけだろ
実際四国軍はボコボコにされてるし >>358
織田四天王徳川四天王に比べたらショボすぎて無理矢理作った感が否めない
つーか加藤や福島みたいな連中が家中筆頭レベルな時点で人材不足感すごいな >>367
九州征伐で頑張ってたのはつゆ払い役の毛利黒田勢やろ
コイツらが豊臣の大軍来るまで戦線維持してその後の対島津戦でも前線張ってた >>364
それと検地やな
平安時代以降数百年グッダグダだった身分と土地制度の管理がちゃんと中央政府に戻ってきて近世への扉が開いた >>367
とある人が無能だっただけじゃないですかね >>323
言うて家康は義元の姪を嫁にもらうあたり準一門衆みたいな扱いやし
義元が桶狭間で死んでなかってもそこそこ有名にはなってたやろな 百性と一括に言っても
広大な田を持ってる庄屋クラス
農奴みたいな下級の奴
一領具足みたいなはっきりしない奴
農業免除の乙名衆と色々あるからな >>364
農民「隠し持っててもバレへんか・・・」
当時農村でこういうノリって無かったのかなー? 家康をちゃんとぶち殺してたら日本はどんな世界線になってたんやろ >>372
下手打ったらお取り潰しもありえるのにテキトーにやるわけないだろ
実際仙石はクビにされてるし
長曽我部だって息子が頑張らずに自分だけ逃げ帰ってたら取り潰されてたかもしれん 火縄銃でるまでは敵のえらいやつぶっ殺しました!で出世できたけど
火縄銃でてからはそういうのないのしんどいというかロマンないよな >>364
刀狩やったのはGHQですし検地しっかりやったのは江戸幕府ですよ
そもそも秀吉は半分中世のままでしたし ほぼ匿名名無しだし仕事もなんでもやるから百姓なんだよな >>379
表立って持ってられないようにしただけでもすごい成果やで >>379
農民こそ仏教徒やから武器差し出すし農民やからこそ農業に専念したいやろ 信長も最近の研究では兄貴や弟と横並びの中尾張を統一したし家康も何やかんやで幼少期苦労しとるし三英傑はみんな苦労人だよな 九州征伐で家久が四国勢倒した後北上して中国勢に決戦挑む展開も見たかったわ
まぁそうさせなかった辺りが元の戦略通りなんやろうけど 地味に信長の爺さんってヤバいやつやろ
あの世代で経済で成り上がり果たすのエグい 落武者狩りは有名やけど
落武者狩ってもちょろっと金もらえるだけだし
敗将を自領まで逃がすビジネスとかのほうがええやろ >>252
そんなことワイらでも思い付くし
闇深すぎて書けない部分多すぎなんやろ >>360
天正地震より九州征伐やろな
地震後も秀吉は上杉や真田にも信濃辺りまで出馬して家康牽制するよう要請してるし家康征伐を実行しようとしてた
島津が大人しく秀吉に従ってたら島津攻めの軍勢がそのまま家康に向けられてたわけやし危なかったやろな >>392
守護からみたら信定なんて家臣の家臣やのにほんますごいわ >>392
今でいうビットコイン長者みたいなもんなのかな >>395
そもそも角栄は証拠が無ければ無罪みたいな事をやりまくってたからぼやかした
描写しか出来ないやろうしつまらんドラマになるな 足利義稙と足利義澄が争ってるくらいがいちばんおもろい ヒトラーもなかなかの成り上がりよな
美術学校何回も落ちてww1で毒ガス食らって入院
親父はただの税関職員やろ? 森蘭丸のチンポ気持ちよすぎだろ!森蘭丸のチンポ気持ちよすぎだろ!森蘭丸のチンポ気持ちよすぎだろ! まあ山名赤松斯波土岐足利らへんと比べりゃちょっとでもプラスで終われたやつは全員有能だよ 日本の歴史とかずっと殺し合いしてる
そんな中で江戸時代がおかしすぎる >>404
ヒンデンブルクの爺さんをたらし込んだ技術は凄い >>407
むしろ他の国に比べたら比較的少ない方とちゃうか >>407
参勤交代って日本史上最高によく出来た政策やと思うわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています