ある観客は是枝監督にこう問いかけます。「家族をフィーチャーした映画ならば、
リリー・フランキーさんと城桧吏くん(治と祥太)の“別れ”で終わるのが自然だったのかと思いますが、
あえて佐々木みゆちゃん(ゆり)が1人でいるシーンで終わらせた理由は?」

これに対して、是枝監督は“子どもの成長”が理由にあると答えました。

「祥太のなかに芽生えた倫理観が、家族を内側から壊します。一方“(本物の)家族”のもとへ戻ったゆり、
彼女には首を振るという意思が芽生えています。(ラストで)彼女が見ている(柵の外の)風景は、映画の冒頭で“隙間から見ているもの”よりも広い。
前向きな終わりというと言い過ぎかもしれませんが、『あの視界の先に私たちがいるかもしれない』ということをオープンにしたつもりです」


りんを助けるのは現実の俺達やってことや