2038年、日本シリーズ。 それをテレビで見つめる男がいた。
18歳で将来を嘱望され中日ドラゴンズへ入団した、根尾昂さんだ。
「あの頃は若かったですね(笑)」若き日を回想する根尾昂さんは、どこか寂しげだ。
「未だに当時の夢を見ることがあるんですよ。日本シリーズで、僕が本塁打を打って完封する夢を」
根尾さんは24歳の時に登板過多の影響で肩関節唇損傷にかかり、4年間リハビリを続けたが
結局完治することはなく、ドラゴンズから戦力外通告を受けた。
今は整形外科医を営む傍ら、地元の少年野球のコーチを勤めている。診療所の看板の文字は中日ドラゴンズ、立浪監督の手によるものだ。
「今日はどうされましたか?」。岐阜駅東口から歩いて3分。
「根尾整形外科」の看板をくぐって中に入ると元チアドラの奥様の明るい声に迎えられた。
「去年の4月にオープンしました。看板の文字は立浪さんに書いていただいたものだし、開業に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらった。
おかげで、県外から足を運んでくださる患者さんが多かったのはうれしかったですね」
根尾さんは本当に嬉しそうに、僕たちに語ってくれた。
とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
かつてのライバルの吉田投手の最多勝について尋ねると…
「知ってます?甲子園で優勝したのは大阪桐蔭だったんですよ?」と、おどけ
「僕も怪我さえ無ければって…歯がゆいですけど」
「今はもう現役に未練はありません。今度はこの、執刀で日本一になれるよう、がんばるだけです!」
(写真)4人の我が子を抱っこする根尾さんと妻◯◯さん