野村が素手ノックを受けたのは、当時プロ11年目・32歳だった1999年の春季キャンプ。この年の広島は過去に2度(1979-1983,1989-1991)チームでコーチを務め“鬼軍曹”と呼ばれていた大下剛史がヘッドコーチとして復帰したこともあり、春季キャンプでは猛練習を敢行。大下にとって駒澤大学の後輩に当たる野村も例外ではなく、連日大下から厳しく指導を受けていた。

 キャンプも終盤に差し掛かった2月19日、この日も野村は大下から「死ぬか分からんぞ」と言われながらランチタイム返上でノックを受けていたが、その途中で何を思ったのか左手に着けていたグラブを投げ捨て、素手のまま「こい!」とノックを要求。素手での捕球は打撲や突き指、さらには骨折の可能性もある大変危険な行為だが、大下は意に介さず打球を放った。

 大下の打球を左手に当てて弾いた野村は、案の定ともいうべきか左手を負傷。さらに、翌20日にはノックによる疲労からか左ふくらはぎ痛を発症しキャンプを離脱する羽目になった。なお、自らグラブを外した理由は不明だが、後年の報道では極度の疲労や興奮により判断力を失ったのではとの見方がされている。

 開幕には間に合った野村だが、キャンプでの猛練習が尾を引いたのか同年は「101試合・.291・6本・42打点・102安打」と今一つで規定打席にも到達できず。また、広島は野村以外にも故障者が続出した影響で「57勝78敗・勝率.422」と優勝した中日と24ゲーム差の5位に沈み、シーズン終了後大下は成績不振の責任を取る形で辞任している。