与田監督
「根尾に関しては、私自身が自分と戦っていたところも強かった。もちろん周りの方の期待もよくわかる。1日でも早く1軍の舞台に立たせてあげたい。『呼ぶか?やめよう。呼ぶか?やめよう』というのを自問自答する日々が続いた。あれから3年間、ドラフト1位で取った選手は、高校を卒業して2年間しっかりと体力、基礎をつくろうと(考えていた)。だから根尾がある程度デビューできるのは今年からだった。来年は石川昂弥、再来年は高橋宏斗。その目標で取ってきたので、そういう中で戦うのが自分自身すごくつらかった。球団ともそういう話し合いの中で取ったと言いながらも、ああ、みんな早くプレーする姿を早くみたいだろうな。早く使ってあげたいけどな…でもまだ我慢しよう…ということの繰り返しだった」。

 与田監督から「つらかった」という言葉も3年間で初めて聞いた。根尾の1年目は1軍キャンプスタートを決めた直後に右足の肉離れで無念の離脱。肝心の1軍デビューはシーズン最終盤でわずか2試合だけだった。2年目は9試合に出場し、プロ初安打も放ったが期待には応えられなかった。ようやく指揮官が思い描いた“デビュー”の3年目は初の開幕1軍どころか、開幕スタメンに名を連ねた。結果的に72試合に出場。ど派手なグランドスラムのプロ初アーチも印象には残ったが、外野からの送球で走者をくぎ付けにしたり、毎日欠かさず早出で遊撃の守備を行っていた姿勢が強く私の脳裏に焼き付いた。

 与田監督は「終盤1軍にあげて2試合連続で遊撃で使いかなり成長していた。我慢してよかった。外野の練習もやらせてよかった。自分の中で計算して(外野の経験は)絶対生かせると思っていた。根尾のおかげで、我慢して良かったと思えた。追い込まれてからの粘り強さも春にはなかった。打率はまだ低いが、インパクトのある選手になってくれた。監督としてユニホームは脱ぐが他の選手同様、あの子たちの成長はずっと頭にある」とうなずいた。


与田監督が抱いていた3年間の葛藤を、今度は立浪新監督のもとで思いっきり吹き飛ばしてくれると信じている。