結論から書く。この映画の主役は、どう考えても森喜朗とトーマス・バッハである。

 というか、これほど臆面もなくこの二人をフィーチャーするつくりになっていることに、まず驚かされた。皮肉でもなんでもなく、「喜朗とトーマス ぼくらの東京オリンピック」というタイトルが付されていたとしても、おそらくまったく違和感はなかっただろう。

 そういう印象をもった理由は簡単で、作り手の「まなざし」がつねにこの二人に寄り添っているからである。

映画は、五輪開催に向けたひとびとの動向を時系列のカウントダウン形式で描いていく。

新国立競技場のデザイン選定をめぐる茶番劇や聖火リレー中のトラブルなど、触れられていない事象の多さが気になるが、森喜朗のあの女性蔑視発言についてはそれなりの時間が割かれている。しかし、その描かれ方には首を傾げざるをえない。

発言をめぐるシークエンスは、基本的に森氏本人へのインタビューを軸としているが、そこでの森氏の口ぶりは、「俺が責任を取ることでオリンピックが成功するのなら、喜んで身を引こう」というような「潔い私」をことさら打ち出しているように感じられる。

あげく、森氏の傍らにいた丸川珠代五輪担当相がその「潔い」姿に思わず涙、などという場面が映し出されるにいたっては噴飯ものとしか言いようがない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8190acfb28607002623abd436bbfa97d900e4129?page=2


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