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夏目漱石「支那や朝鮮に生まれなくてよかった」

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1それでも動く名無し
垢版 |
2022/06/27(月) 03:47:24.46ID:6p70aTMO0
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼蹐(きょくせき)してゐる間は、日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼母しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた 同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵児と云はねばならぬ。」

1909年11月6日「韓満所感(下)」
https://i.imgur.com/HMoGFIu.jpg
2それでも動く名無し
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2022/06/27(月) 03:47:37.35ID:6p70aTMO0
『韓満所感』は夏目漱石の随筆である。1909年(明治42年)11月5日と11月6日付けの満洲日日新聞に「韓満所感(上)」「韓満所感(下)」の2回にわたって掲載されたもので、漱石が1909年(明治42年)9月2日から10月14日まで、親友の南満州鉄道総裁中村是公の招きで朝鮮、満州を初めて訪れた時に感じたことを書き記している。

「韓満所感(上)」の記事で、伊藤博文の暗殺事件に触れており、
「昨夜久し振りに寸閑を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、筆を執りながら二三行認め出すと、伊藤公が哈爾浜で狙撃されたと云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有の兇変と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」
などとした上で
「余の如き政治上の門外漢は(中略)報道するの資格がないのだから極めて平凡な便り丈(だけ)に留めて置く」
などと書いており、伊藤博文の暗殺事件に対する感想などが綴られている。
3それでも動く名無し
垢版 |
2022/06/27(月) 03:47:47.00ID:6p70aTMO0
粗暴な朝鮮人にブチギレ
https://i.imgur.com/mIIrd26.jpg
4それでも動く名無し
垢版 |
2022/06/27(月) 03:48:03.80ID:8cpz8yNcM
漱石スクリプトスレ
5それでも動く名無し
垢版 |
2022/06/27(月) 03:48:13.60ID:qD8DvzTm0
スクリプトガイジこいや
6それでも動く名無し
垢版 |
2022/06/27(月) 03:49:56.90ID:RnNP5rL10
はえ~ネトウヨやったんやな
7それでも動く名無し
垢版 |
2022/06/27(月) 03:50:39.56ID:AqcCKg+0d
客観的事実言ってるだけ
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