~無名雑誌きららが多数のオタクに知られるようになるまで~

当時TBSの映像事業部にいた中山佳久が元々きららを愛読していた

どこの放送局も手を付けてないきららをブルーオーシャンだと考えるようになる

ひだまりをアニメ化したいと持ち掛けるが無名雑誌の為予算があまり降りず、そのため動かさないで魅せられるシャフトに依頼

ひだまり小ヒット

その間にけいおんが連載開始、読者中山が何故かヒットを確信する、今度は実績があるため予算が降りる

中山はAIRやCLANNADのプロデューサーでもあり京アニと付き合いがあった、さらに京アニはその時期アニメ化したかった作品が頓挫していたため渡りに船でもあった

けいおん大ヒット

その後はご存知の通り