佐藤丙午1時間前
拓殖大学国際学部教授/海外事情研究所副所長


安倍首相の実績や功績を考えると、儀式の方式はともかく、国家レベルで弔意を示す機会を設けるのは当然であろう。生前向けられた疑惑は、国会対策上の作為が感じられたものであったし、宗教との関係で言えば、様々な問題があったとしても、彼らも国民の一部でもある。

国際社会における国家的な儀礼を見ると、国民がすべて満足する形で国家的儀式が行われたことはない。彼らが政治家である以上、その功績には議論が付きまとうのは当然であり、反対論が出てくるのは不思議ではない。国民すべてが理解した国家的儀礼はないし、吉田首相の国葬でも、反対論があったとも聞く。

一部で安倍元首相の暗殺を教唆するような言論が飛び交う異様な状況がみられ、死亡についても生前の業績の因果応報であるとの主張も散見される。ただ、国際社会でこれだけ功績を評価された日本の首相は存在しないことを考えると、反対派も賛成派も、儀式を静かに見守って欲しい。


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