山上烈士の哀しき生い立ち

生後数ヶ月で子育てを放棄される。母親は実践倫理宏正会 の活動に没頭し、父親もそれを見て見ぬふりをした。父親は飲んだくれて母親に暴力をふるうのが家庭の日常だった。

オムツ姿で家の庭をよちよち歩き回る山上を近隣住民が目撃。何日も交換してもらえないので、💩で膨らんでいたらしい。

山上が5歳の頃、京都大学卒の父親がノイローゼで自殺。自宅マンションからの投身自殺だった。

夫の死をきっかけに母親が統一教会に入信。家中の壁にお札がビッシリと貼られるように。活動のために韓国へ渡航するようにもなり、建設会社を経営していた父(山上の祖父)の遺産を全て寄付してしまう。

中学時代はバスケ部で学校の成績も良好。偏差値68の県立高校に入学するも、この頃から内向的に。幼少期の悲惨な環境のせいで上手く感情のコントロールが出来ず、他人と距離を置くことが増えた。

母親が寄付を繰り返して自己破産し、大学に進学できなくなる。叔父の援助で公務員試験の予備校へ通うも続かず、海上自衛隊へ入隊。兄と妹に保険金を渡そうと山上は自殺を試みるが失敗、隊員寮の枕を悔しさで涙に濡らす。

弁護士の叔父が5000万を統一教会から取り戻すも、母親は再度寄付してしまう。この頃から現金を渡すと寄付してしまうので、困窮する母親にも食べ物を現物で渡すようになった。

小児がんの後遺症から生後一歳で片目を失明した兄が将来を苦にして自殺する。山上は「兄ちゃんなんで死んだんや。生きていれば良いことあるって言うたのに」と、遺体の前で号泣。

フォークリフトの運転手として物流倉庫で勤務。感情のコントロールが出来ず、些細なことから諍いに発展し退職。統一教会の教祖を殺すため、自作の散弾銃の開発に着手する。

一年の制作期間をかけて散弾銃を完成させる。例のビデオを見て標的を安倍に変更。奈良に選挙応援に訪れたところを二発の射撃で殺害し、逮捕される。