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陽ハゲの父親

1950年に騎手免許を取得してデビューし、父の厩舎に騎手生活を通して所属し続けた。1年目の同年4月2日にトツプホームで初騎乗(5着)を果たし、5月3日の中山オープンで1948年の皐月賞馬ヒデヒカリに騎乗して初勝利を挙げる。
1961年の金杯 (東)をヤマニンモアーで制して重賞初制覇、1962年には優駿牝馬をオーハヤブサで制してキャリア唯一のGI級レース・八大競走制覇を遂げる。

1972年9月15日の中山第5競走4歳以上200万下にて自身の騎乗する3番人気のハーバータイガーを2着までに入らないようにし(結果は5着)、1番人気のスイートエメラルドと2番人気のシネマモーションがすんなり1・2着できるようする(結果は人気通り)という八百長依頼を知人から受けて実行[2]。それに伴い現金などの賄賂を受け取っていたことが発覚したほか、その後の調べで知人を中心としたグループとともに複数回の八百長を行っていたことを自供し、1973年10月10日に競馬法違反容疑で逮捕された[3]。
証拠不十分により同31日に釈放されたが、事態を重く見た日本中央競馬会から1974年2月28日までの騎乗停止処分を下される[3]。この一件により、事実上騎手生命を絶たれることとなった。